「逢魔(おうま)が時」を辞書で引くと「大禍(おおまが)時」から生まれた言葉で、「暮れ方の薄暗い時刻、たそがれ」との意味という。昼と夜がまじり合う夕暮れ時は、この世と異界を結ぶ道が口をあけ、魔物が禍(わざわい)をもたらす。昔の人はそう感じたらしい▲だが広島市の小学1年生、木下あいりちゃんが下校途中で姿を消したのは午後0時半すぎだったという。それから約2時間半の後には、段ボール箱に入れられたむごたらしい遺体が見つかった。すべては明るい真昼の出来事であった▲あいりちゃんが最後に目撃されたのは通学路とさみしいわき道との分かれ道近くだった。一緒だった児童は、先を歩いていたはずのあいりちゃんの姿が通学路から見えなくなったという。帰宅には遠回りになる細いわき道にあいりちゃんは入っていったのか。入ったとすればなぜだろう▲遺体の入った段ボールは細い道の200メートルほど先にある空き地で見つかったと聞けば背筋に寒いものが走る。何か平和な町の明るい午後のひと時から、長さ200メートルほどの空間と、約2時間半の時間とがすっぽり闇の世界に奪い去られてしまったような奇妙な錯覚に陥るからだ▲子供のころ、学校の帰りは少しウキウキした気分だった。駄菓子屋や原っぱでの道草も楽しかったが、わざわざいつもは通らない回り道の探検に心を弾ませたこともある。あいりちゃんもそうだったのかどうかは分からない。しかし白昼の町の一角に口をあけた闇は、あいりちゃんの心の弾みを永遠にのみこんでしまった▲奪われた時空は周到な捜査と地域住民の力でしっかり埋め合わせなければならない。そこに潜んでいた魔の正体もきっと暴かれるだろう。だが失われた生命ばかりはこの世に取り戻せないのが悔しい。
毎日新聞 2005年11月25日 0時45分