「臨床政治学者」を自任した岡野加穂留・明大元学長が76歳で亡くなった。「明日の天気は変えられないが、明日の政治は変えられる」が決めゼリフで、議会、政党、選挙の比較研究のため内外の現場に足を運んだ。
30、40代のころスウェーデンに滞在し、今や当たり前となった行政監視のオンブズマン制度や連立内閣を学び、いち早く日本で必要性を提唱した。政治浄化を訴え、「政治で金もうけをしようとする政治業者ばかり」と厳しかった。
国会議員とも幅広く交際し、特に明大雄弁部の先輩の三木武夫元首相からは見込まれ、識者として意見を求められた。明大出身の村山富市氏が突然首相に担がれた際にも、連立政権下の開かれた政策決定を指南した。
春の叙勲で受章されたので、遅ればせながら祝意を伝えようと電話をかけた7日午後、夫人から「今朝亡くなったんですよ」と告げられた。闘病生活中もうわ言で講義をしていたという。「政治の究極の目標は社会正義の実現」と教えてくれた恩師の訃報(ふほう)は、たまらなく残念でさびしい。合掌。【徳増信哉】
毎日新聞 2006年6月13日 12時31分