论坛讨论连接:http://club.kantsuu.com/showtopic-178909.html
可怜天下父母心-----待业未婚的大龄女儿(中日对照)
未婚、仕事続かぬ30代娘
女儿30多岁了,没有工作也不结婚
50歳代女性。自営業で、夫と30歳代の娘の3人暮らしです。娘は短大卒業後、就職先が見つからず、様々なアルバイトをしてきました。しかし「楽な仕事をしたい」「人に教えを受けるのが嫌」という性格なので、どれも長続きしませんでした。今は午前中だけ、家の仕事を手伝っています。
娘は恋人に裏切られてから人間不信になり、外出はほとんどしません。接客も苦手。家事は全く手伝いません。朝の支度で私がばたばたしていても助けようという気はなく、知らんぷり。この先、老いていく私たちが娘の世話をするのは腹立たしいです。でも親の亡き後、娘がどうするのかも心配。お見合いさせても、話をしないし、会わないし……結婚は無理のようです。母親の私が、しつけをきっちりしなかったのが悪いのでしょうか。なるようにしかならないのでしょうか。(兵庫・Y子)
◇◇◇◇◇◇◇◇
これは、〈1〉仕事が出来ない〈2〉家族への思いやりがない〈3〉人間不信と引きこもり、の三つの問題に整理できます。どれも極端にひどくはないのですが、それぞれが絡み合っているために、親が心配せざるをえない状況になっている。すべてを一挙に解決するのは無理なので、どう取りかかるかを考えてみます。
まず娘さん側から見れば、現在の状況が一番好ましいわけですから、容易なことでは動き出さないでしょうね。ただ、問題意識が全くないのかというと、おそらくそうではなく、将来生じる問題に目をつぶっている。つまり、「それは考えないことにしよう」「だって、考えるのは怖いから」というわけです。
ポイントはこの問題意識をいかに目覚めさせるかですが、家業をだんだんと任せてみるというのが一番現実的と思います。単なる「手伝い」だけではなく、ある程度責任を持たせ、目前の問題を直視する感覚を身につけ、親以外との人間関係を持つ契機とする。商売はそのための素材に事欠かないはずです。それが、お手紙の最後に書いてある、「きっちりしつけをする」ということの具体化にもなるのではないでしょうか。
(野村 総一郎・精神科医)(2008年9月22日
読売新聞)
我,女性,50岁有余。自营业,和丈夫及30多岁的女儿一起生活。女儿大专毕业后,一直找不到合适的工作,靠打各种各样的短工度日。不过,由于她个性不想受人管教,且只想做些轻松容易的工作,因此每一份工作都无法。现在,只是上午在帮忙打点家里的工作。
女儿自从被恋人背叛后变得不再信任他人,也基本上不外出、待人接客也颇不擅长。家里的事情更是从不帮忙打理。早上的准备工作我自己来来回回忙碌也不见她有任何想要帮忙的迹象,总是装出一副视而不见的样子。今后,正在逐渐老去的我们还要照顾这样的女儿想想就让人觉得生气。可是,父母去世后,女儿将来怎么办?这很让我担心。即使让她去相亲,要么沉默,要么不去・・・・・・,看来跟结婚是无缘了。身为母亲的我,没有给与女儿严格的教育大概是我的失职吧。是不是只能像目前这样甘于现状啊?(兵库・Y子)
◇◇◇◇◇◇◇◇
医生建言:
这件事情,大体可以归纳为三个问题:(1) 不能好好工作 (2)不会关心家人 (3)怀疑他人以及闭门不出。尽管以上问题都不是极端严重,但由于各种各样的状况错综复杂交织一起,因此变成了目前这种不能不让父母担忧的状态。将所有问题一揽子彻底解决那是不可能的,还是试着考虑一下该从哪里开始入手比较好。
首先,从女儿的角度来看的话,目前的状况应该是最理想的。因此最简单容易的就是什么也不用做。但是,假如说她完全没有意识到问题的存在,恐怕也不是那样,她只是对将来可能发生的问题选择了无视而已。也就是说,原因在于“她把这一切当作是无需考虑的事情”以及“害怕去想将来”。
重点是如何用这种问题意识去唤醒她,我认为将家里的工作慢慢的试着委托给她是最行之有效的办法。不是单纯的让她“帮忙”,而是,让她负起一定的责任,让她学会正视眼前出现的问题,也作为一个构建和父母以外的人的人际关系的契机。这种机会和尝试在商业活动中应该是毫不缺乏的。您在信中最后所写的“给与严格的教育”,以上尝试不也是能将希望变为现实的一种具体化做法吗?
出处:http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/shinshin/20080922-OYT8T00180.html