ファイナンシャルプランナー(FP)の三輪鉄郎氏は、バブルが膨らみ、そして崩壊していった時期を外資系銀行の東京支店で過ごした。激変するマーケットを目の当たりにした三輪氏が得た教訓とは。
■バブル崩壊で平家物語の世界
外資系の銀行に転職したのは1986年の春、ちょうど時代がバブルへと向かっていくころでした。東京が金融の面で世界的に注目を集め、業界に若い人がどっと入ってきて、何か新しいことが始まるぞという雰囲気でしたね。私自身、最先端のことをやっているんだとわくわくする気持ちでしたし、バブルの波に乗ったといいますか、巻き込まれたといいますか、ともかくそんな感じでこの世界に入ったんです。
三輪鉄郎(みわ・てつろう)氏 1959年、東京都出身。日本企業を退職後、86年からベルギーとフランスの銀行の東京支店に勤務。2005年にファイナンシャルプランナー、行政書士として独立・開業。宅地建物取引主任者の資格も持つ
FPとして独立するまで20年近く、ディーリングルームで外国為替や資金ディーリングを担当したり、法人顧客にデリバティブ(金融派生商品)を販売したりしました。この間、振り返れば実にいろんなことがありました。
87年のブラックマンデーのときにはちょうど日本の大手信託銀行に出向していて、ディーリングルームが大変な騒ぎだったのを覚えています。そこでは盛り返してバブルの絶頂期に至るわけですけれども、それが過ぎたらあとはもう、平家物語の世界ですよね。まさに諸行無常、栄枯盛衰です。住専(住宅金融専門会社)に三洋証券、北海道拓殖銀行、とどめに山一証券……まさかあんなに大きなところがつぶれてしまうなんて。いずれも仕事でお取引があって、よく知る方もいらっしゃいましたからなおさらショックでした。
長銀(日本長期信用銀行、現・新生銀行)や日債銀(日本債券信用銀行、現・あおぞら銀行)もそうですよね。私どもが学生のころは、ゼミでも一番優秀な学生がこういうところに進んで、すごいね、一生安泰だねなんていわれていたものです。世の中、絶対というものはないとつくづく思い知りました。
こうやって、マーケットではきのうまで正しかったことがオセロゲームのようにがらっと変わってしまうということが起こるんです。そうなってしまうと一個人や一企業の力ではどうにもなりません。私自身、ユーロ/dx/async/async.do/ae=P_LK_ILTERM;g=96958A90889DE2E6E3E5EBE7E5E2E3E4E2E1E0E2E3E29BE0E2E2E2E2;dv=pc;sv=NXの誕生で欧州の金融機関が再編していくなかで、自分の銀行が吸収されて所属していたセクションがなくなってしまいました。要するにリストラです。いつか独立しようと資格は取っていたので、結果的にこれで背中を押されたわけですけどね。
そんなありさまをずっと見てきましたから、リーマン・ショックやギリシャ危機は既視感すらありました。ああまた同じ話だなあと。そういうわけで、私には何年後の相場を当てようなんていう発想は一切ありません。そんなことができるなら、世界中の投資家が損をしたり巨大な投資銀行が破綻したりしませんよ。むしろ、相場を見通そうと考えること自体が、マーケットに対して傲慢なんじゃないかと思うくらいです。