アフガニスタンのバーミヤン遺跡の調査などで知られた考古学者の樋口隆康(ひぐち・たかやす)氏が2日、死去した。95歳だった。告別式は5日午前11時、京都市北区紫野宮西町34の北ブライトホール。喪主は長男、富士男氏。
2015年1月に転倒し、入院していた。
福岡県生まれ。1943年、京都大文学部を卒業し、京大助教授を経て、75年に京大教授。この間、57年に日本人考古学者として戦後初めて中国・敦煌の石窟(せっくつ)を視察。翌年に京大インド仏跡調査隊、62年から京大イラン・アフガニスタン・パキスタン学術調査隊に参加した。
70年から8年間、京大中央アジア学術調査隊の隊長としてアフガニスタンのバーミヤン遺跡などの遺跡調査にあたった。83年に京大を退官、京都市にある泉屋(せんおく)博古館館長、奈良県立橿原考古学研究所所長などを歴任。90年からシリアのパルミラ遺跡の調査を指揮した。
樋口氏が一般からも注目されたのはシルクロードの研究によってだった。作家の井上靖氏らとともに参加したテレビのシリーズ番組はシルクロード・ブームのきっかけになった。アフガニスタンのバーミヤン遺跡では、京大中央アジア学術調査隊を指揮して玄奘三蔵が「大唐西域記」に記した東西の大石仏を含め全石窟を調査した。この時の報告書は、大石仏などがタリバーンによって破壊されただけに、貴重な資料となっている。
国内でも数多くの遺跡調査に参加、指揮した。特に京都府の椿井大塚山古墳と奈良県の黒塚古墳の調査では、中国の魏から邪馬台国の女王、卑弥呼に贈られた鏡との説がある三角縁神獣鏡を大量に発見するという成果をあげた。この鏡の製作地を巡っては中国か日本かで研究者の見解が分かれ、邪馬台国の所在地も絡んで大きな論争を巻き起こした。
98年10月、日本経済新聞に「私の履歴書」を掲載した。