宮城県南三陸町の佐藤仁町長は19日、東日本大震災の津波で町職員ら43人が犠牲になり、骨組みだけが残った防災対策庁舎を、震災から20年後の2031年3月まで県有施設として管理する県の提案を受け入れる方針を固めた。一部の遺族が求めていた解体を事実上見送り、津波の猛威を示す震災遺構として恒久保存するかどうか、時間をかけて議論する。
佐藤町長が今月末に正式表明し、7月上旬に村井嘉浩知事と会談して受け入れを伝える。防災対策庁舎の保存と解体をめぐる動きは、震災から4年3カ月を経て大きな節目を迎える。
佐藤町長は13年9月、周辺のかさ上げ工事に支障があるなどの理由でいったん解体を表明した。しかし県の有識者会議が震災遺構の候補としたため作業は中断。今年1月、「震災の象徴」として保存価値が高いとの報告がまとまったのを受け、村井知事は「冷静な議論の後、結論を出してほしい」として、所有権を県に移し、県が震災から20年後まで維持管理することを提案した。
佐藤町長は、解体を求める遺族の思いなどに配慮し回答を保留したが、町民から意見を公募したところ、提案への賛成意見が約60%と多数を占めた。今月、町議会で県有化を求める請願が全会一致で採択され、受け入れを判断したとみられる。〔共同〕