「手帳を交付せよ」との裁判長の言葉を聞き、原告の大町リキ子さん(82)は22日の法廷で「よかった」と小さくつぶやいた。大町さんは被爆者健康手帳の交付を認められた10人に入った。だが素直に喜ぶわけにもいかなかった。「全員を被爆者として認めて」というのが願いだからだ。
1945年8月9日。12歳だった大町さんは自宅にいて強い爆風で飛ばされた。爆心地から東に約8キロ離れた旧矢上村(現在の長崎市東町)。黒い雲から灰が降り注いだ畑の野菜をよく洗わずに食べ、井戸水を飲んだ。
数日後、髪の毛をくしでとかすと、ごっそり抜けた。放射性物質を含む「死の灰」の影響は考えもつかなかった。49歳の時に倒れた。診断は典型的な原爆症の一つとされる慢性肝炎だった。
国は内部被曝と健康悪化の関係を科学的に裏付けるよう被爆体験者側に求めた。「国は原爆投下直後、この地区の放射線量を測ってさえいない」と大町さんは憤る。
広島原爆で「黒い雨」を浴び手帳交付を求め係争中の原告らも「勝訴は励みになる」と評価しつつ、原告団長の高野正明さん(77)は「原爆症とみられる様々な症状で同じ苦しみがあるのに、認められない人がいるのは不公平だ」と話した。〔共同〕