4月に「超企画会議」を刊行した川村元気さん=佐藤正人撮影
■川村元気の素
映画の猫はしゃべらない せか猫原作・川村元気さん
映画「世界から猫が消えたなら」の原作者、川村元気さん(37)。本業は映画プロデューサーで、「告白」「モテキ」「バケモノの子」「バクマン。」など数々のヒット作品を送り出してきました。その仕事には、ちょっと変わった「儀式」があります。映画づくりを始める前に、もし大好きなハリウッドの巨匠、ウディ・アレンやスピルバーグ、ティム・バートンらと組んで企画を練ったら……と、空想の会議を繰り広げるのです。4月に刊行された「超企画会議」(KADOKAWA)には、そんな楽しい会議録が満載。この「アイデアの筋トレ」こそ、ヒットを生み出すのに不可欠な準備になっているようです。そして話は、良い仕事のもう一つのカギ、「偶然性」へと展開します。
■徹底「予習」で対話のレベルを上げる
――なぜ、ハリウッドの巨匠と空想会議するんですか?
「僕は、映画を作るときはマックスハッピーな空想をします。『世界から猫が消えたなら』もティム・バートン監督と製作したらどうなるかを本気で考えました。彼の傑作『ビッグ・フィッシュ』のようなファンタジーと人生の滋味があわさった物語を作りたいと思って、書いた小説ですから」
「もちろん簡単には実現はしない。でも、空想するのは、僕にとって非常に大事な時間です。最初の風呂敷はなるべく大きく広げる。いずれ予算やキャスティングの制約を受けて、風呂敷をたたまないといけないとしても、です」
「『超企画会議』は大風呂敷の広げ方の本。実際に手を動かし始める前に、どれだけ考えの幅を広げられるか、創造力を持てるか。この一番大事なところを書いてます」
――空想の対談ですが、スティーブン・スピルバーグ監督など登場人物を徹底的に調べ上げますよね。
「“予習”と言っています。スピルバーグ監督とは『宇宙兄弟』を作る会議をしていますけど、ただぼんやり彼の映画が好きというだけではダメなんです。監督がどんな育ちで、どこに転換点があって、それがキャリアにどうつながるのか。監督の得意や苦手はどこか。全部調べてから臨まないと、話のレベルが上げられません」
「打ち合わせってせいぜい1~2時間の勝負。『あなたはどういう人?』という話から始めると、時間のロスがすごく大きい。クリエーターと会うときは、その瞬間、相手のことを世界で一番知っているという気持ちで準備しています」
「調べていると、相手の人生を並走した気分になる。『寄生獣』を一緒につくる空想をしたジェームズ・キャメロン監督だって、最初はトラックの運転手。そこから自主映画を作り、『ターミネーター』の1作目は低予算で製作した」
「巨匠だって、最初から巨匠だったわけじゃない。挫折や転機が絶対にあります。その時にどう勝負したかで、彼らは違うゾーンに行ったんです」
「『仕事。』という本で、宮崎駿監督や坂本龍一さんたちと対談しましたが、その時のテーマは『僕と同い年だった時、何をしていましたか?』でした。巨匠が相手でも神棚に上げずに、自分に引き寄せて、同じ人間として見ることがすごく大事だと思っています」
■良い仕事には「偶然性」
――映画をつくるとき、まず組みたい相手がいて、テーマを設定する? それとも、テーマがあって、合う人を探すのですか?
「合わせ技ですね。『こんなことを映画にしたいな』というテーマがある。その一方で、『この監督、この俳優なら、こういう映画が面白い』というアイデアもある。それをどう組み合わせるのか。両方のお見合いのタイミングを狙います」
「『モテキ』を製作した時も、Jポップでミュージカルをやりたい思いはずっとありました。日本人はミュージカルが苦手とよく言われる。そのくせ、カラオケに行くとみんな大声で『好き』とか『友達はいいな』とか歌ってる。『これってミュージカルだ』と思った。一方で、大根仁という監督にずっと注目していたんです。大根監督が深夜ドラマで『モテキ』を撮っているのを見て、『このフォーマットで、Jポップミュージカルができるな』と思い、映画を作ることを持ち掛けました」
「でも、テーマやアイデアが二つ組み合わさっても、完全に作り込んでしまっては親近感もわかない。だからどこかで、天気待ちじゃないですけど、『偶然待ち』みたいな部分がある。良い仕事には、この三つが必要で、僕は『三点倒立』といっています。この『偶然』をいかにして練り込むかが、いまの課題です」
――これまでの作品も「三点倒立」している?
「26歳の時に『電車男』を映画にした時は、何となく、秋葉原という街を美術的に撮ったら面白いんじゃないかとは思っていた。ソフィア・コッポラ監督が『ロスト・イン・トランスレーション』で、新宿や渋谷を面白く撮ったように。それと、ビリー・ワイルダー監督の『アパートの鍵貸します』のような、ダメな男が好きな女の子のために頑張るロマンチック・コメディーが作りたかった。その二つにインターネット上のコミュニケーションという時代性がくっついた。10年前はまだ、映画でインターネットの話を誰もやっていなかった。自然に『三点倒立』になっていたんです」
■熱して冷まして強度を上げる
「20代のころは、自分が何も知らないんで、ほっといても偶然性が入ってきたんです。でも、30代半ばまでに、『告白』や『悪人』、『モテキ』など映画を10本ぐらい作ったころ、『あっ、もう頭打ちだな』と思ってしまった。経験することで理屈ができて、自分がロジカルに映画を作っていることに気が付いた。それで、小説を書こうと思ったんです。自分をまったくルーキーの場所に戻したかった」
――壁を感じたとか、大失敗したとか、ですか?
「映画で大失敗はできないんです。チームを背負っているし、プロデューサーとしての責任もある。壁とか挫折とかもよく聞かれますけど、そういう風に感じないようにしているところがあります。なぜかというと、そもそも自分に期待せず、自分のやっていることを絶えず疑っているからです。すごくつまんない映画をつくっているんじゃないか、とんでもない駄作を書いてるんじゃないかって」
「映画作りは文化祭と似ていて、みんなが『俺たち面白いもの作っている』って気分が上がり始めるんですけど、僕はその瞬間に冷めちゃう。絶えず、つまんないじゃないのかと疑っている」
――面倒臭い人だと思われませんか。
「仕事のやり方は刀鍛冶(かじ)に似ていると思うんです。すごく熱して、盛り上がった所で冷や水をかけて冷ます。そうすると、強度は必然的に上がるじゃないですか。作品も、熱して、冷ましてを繰り返して面白くしていく。映画1本製作するのに10本分ぐらいは考えないといけないと思っています。周りからしたら、たまったものではないと思うんですよね。映画の仲間たちからは『またか』とあきれられています」
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かわむら・げんき 1979年、横浜生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、映画プロデューサーとして「電車男」「告白」「悪人」「モテキ」「バケモノの子」「バクマン。」などの映画を製作。2011年には優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。12年の初小説「世界から猫が消えたなら」が130万部突破の大ベストセラーとなり映画化。近著に養老孟司、川上量生、伊藤穣一ら理系人との対話集「理系に学ぶ。」(ダイヤモンド社)がある。(聞き手・丹治翔)