息子の厚仁さんの遺影を前に、国連ボランティア名誉大使の勇退を会見で表明する中田武仁さん=2008年4月、東京都渋谷区の国連大学
カンボジアで1993年4月、選挙監視員のボランティア活動中に凶弾に倒れた中田厚仁さん(当時25)の父で、国連ボランティア終身名誉大使の中田武仁(なかた・たけひと)さんが5月23日、老衰のため自宅のある神戸市内の病院で亡くなっていたことがわかった。78歳だった。葬儀は親族で営んだ。
内戦が続くカンボジアの再建を手助けしたいと国連ボランティアを志した息子の遺志を継ぐため、貿易商社を退職して93年6月、国連ボランティア名誉大使に就き、15年間務めた。公益信託「中田厚仁記念基金」を創設し、世界50カ国以上を訪れて国際ボランティアを支援。「多くの息子を持てたのが大きな誇り」と語っていた。
厚仁さんが息絶えた現場のジャングルは切り開かれて「アツ村」と呼ばれ、98年夏には募金を元に小学校ができた。2001年が国連のボランティア国際年となるきっかけをつくり、「21世紀はボランティアで幕を開ける」との夢を実現。その後も、終身名誉大使として「一人一人の胸にボランティアの灯を」と説き、講演は国内外で3千回を超えた。
事件の約1年後、出身地である大阪市内の大蓮寺にある息子の墓のそばに顕彰碑を建て、「地球市民ここに眠る」と刻んだ。妻の敬子さん(73)は「今は息子と一緒にいるでしょう。最後まで意識は明確で、国連あての書簡を英語と日本語で書いていました」と話した。
中田さんは常々、厚仁さんを一人の人間として見つめ、尊敬の念をにじませていた。「息子への手紙」(朝日新聞社)に、その思いが込められている。(副島英樹)