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あの名選手の色紙、60年ぶり尾鷲高へ 元主将が保管

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別当薫さん直筆の色紙を掲げる尾鷲高野球部の立岡仁哉君=三重県尾鷲市


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尾鷲高校野球部(三重県尾鷲市)に今月、半世紀以上の時を超えて一枚の色紙が届けられた。野球殿堂入りの強打者・別当薫(べっとうかおる)さん(1920~99)が現役時代の52年、同校に贈った激励の色紙だ。往年のプロ野球選手と現在の高校球児を結んだのは、色紙を保管していた当時の主将が思いを託した遺言だった。


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「贈尾鷲高校野球部 努力」


色紙に毛筆でそう書いた別当さんは当時、毎日オリオンズに在籍していた。関係者によると、別当さんは旧制甲陽中学(兵庫県西宮市)に通っていたころから、父親の出身地の尾鷲市に夏になると遊びに来ていた。球界入り後もたびたび訪れ、尾鷲高校野球部の練習を見学したり、地元の中学生に野球を教えたりした。「第二の故郷」と呼んでいたという当地で、交流を深めた野球部員たちに贈られたのが、この色紙だった。


それから64年、色紙は当時の主将だった世古(せこ)守さんが選手を代表して大切に保管。額縁に入れた色紙の上でおどる文字や署名からは、今でも筆の勢いが伝わってくるほど保存状態は良い。その世古さんが今年5月、81歳で亡くなった。


「これは尾鷲高校宛てに書かれたもの。いつまでも自分のものにしておくのは申し訳ない」


生前、そう話していたという世古さんは「俺が死んだら、尾鷲高校に色紙を届けてくれよ」。野球部OB会の仲間に、そう言い残していた。


その遺言通り、全国高校野球選手権三重大会の開幕に合わせて今月12日に同校を訪れた中川健一OB会事務局長(41)らが、色紙を同校野球部に届けた。


往年の名選手は今も尾鷲の球児たちに名を知られる。「別当杯」と呼ばれる軟式野球大会が毎年あり、市営野球場には別当さんの等身大の銅像が立っている。野球部の立岡仁哉(きみや)君(3年)は「市営野球場の銅像を見て育つので、尾鷲に別当さんのことを知らない球児はいない」。直筆の色紙を見て「こんな有名選手が僕ら宛てに残してくれていたなんて」と喜んだ。


中野良二監督(42)も「別当さんと、60年以上前に色紙を受け取った先輩たち、両方の『野球を頑張ってほしい』という思いを感じる」と感謝する。


尾鷲高野球部は今夏の三重大会で初戦敗退したが、色紙に託された多くの人たちの思いを大切にしたいとの気持ちは強い。「別当さんが愛した尾鷲で、故郷から甲子園をめざす励みにしてほしい」と中野監督は語った。(国方萌乃)



〈別当薫さん〉 兵庫・甲陽中(現甲陽学院高)時代に甲子園に投手で出場し、慶応大では強打者として知られた。プロ野球では大阪タイガース(現阪神タイガース)や毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)で活躍。1950年には、日本プロ野球で初めて打率3割、30本塁打、30盗塁の「トリプルスリー」を記録した。大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)など複数の球団で監督やコーチも務めた。88年に野球殿堂入り。



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