収容所に張り出されていた曙光新聞の写し(左)と、現在の「曙光」
第2次大戦の激戦地だったフィリピン・レイテ島の日本人捕虜収容所で壁新聞として始まった「曙光(しょこう)新聞」が、今月で廃刊することになった。郵送の新聞として捕虜経験者や遺族らが発行を続けてきたが、財政難と読者の減少により創刊70年の歴史に幕を閉じる。
曙光新聞は1946年1月6日、レイテ島タクロバンの第1収容所で創刊。朝日新聞特派員として従軍し、捕虜になった故・影山三郎さんが編集長を務め、英字新聞や復員船関係者への取材をもとに世界や日本の情勢を記事にした。手書きで壁に貼られ、その年の11月まで36号発行した。
その後は休刊状態だったが、捕虜経験者らが75年に復刊した。戦争体験の記事や遺族が戦死した肉親の最期を知る手がかりを求めて投稿する「尋ね人」の欄などを設け、郵送で年4回発行。最盛期には600人以上の読者がいた。
だが、高齢化で読者は半減。2006年から編集長になった元産経新聞編集委員の牧野弘道さん(81)らが新規の読者を求め、昨年から発行を年2回に減らしたが、今月の154号を終刊号にすることとした。牧野さんは「残念だが、戦争の記憶を風化させない活動は今後も必要だ」と話す。(久永隆一)