見つかった「バトパハだより」。発行した計100号のうち、88号分が残っていたほか、日本国憲法全文を掲載した別刷りの小冊子も出てきた=愛知県尾張旭市
第2次大戦後にマレー半島に抑留された旧日本軍人向けのガリ版刷り新聞が、富山県の民家から大量に見つかった。激変する日本の様子と、兵士たちの戸惑いや期待がつづられていた。
新聞はマレー半島南西部の町の名を取り、「バトパハだより」と題された。1946年7月から1年間で計100号出され、そのうち88号分が見つかった。B4判で、各号のページ数はばらばら。最も多いもので14ページだった。
「内地の状況と世界の動きを伝え、実情に遅れないようにする」との目的で、馬来(マレー)海軍部隊司令部が発行。防衛省防衛研究所が所蔵する同部隊の「命令綴(つづり)」などによると、降伏した旧海軍軍人による組織で、本部がバトパハだった。マレー半島を管理した英軍の指示で作業隊を編成し、開墾などの労働に従事した。
日本の新聞から引用したとみられる記事が多いが、入手経路の詳細は不明だ。「労働関係調整法成立」「吉田(茂)内閣総辞職」など、日本の変化を伝える見出しが躍った。
47年の日本国憲法施行時は、法律全文を載せた56ページの小冊子も発行。新聞には、兵士らの新しい日本への思いも掲載された。目立ったのは、国民主権や平和主義など激変する戦後の価値観への戸惑いだ。
「日本は皇室と国民が一体化した家族国家。国家に対して国民が権利や自由を主張する西欧とは異なる」「日本人と日本の歴史を否定、軽蔑することが進歩的と考える風潮は浅はかだ」
一方で、新憲法を「画期的」と…