「料亭に行く機会はほとんどなかった」と話す元衆議院議員の杉村太蔵さん
「料亭政治」とも呼ばれた文化は廃れ、国会議員の会合の多くはホテルに場所を移していた。朝日新聞が集計した閣僚や政党党首の会合の支出先で、東京都内のホテル勢が上位を独占する一方で料亭は全体の0・6%と低迷。その移り変わりを、国会議員経験者はどう見るか。「料亭に行ってみたい」との発言で注目を浴びた杉村太蔵さん(37)と、数々の料亭を渡り歩いたという平野貞夫さん(80)に聞いた。
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杉村さんは2005年の「郵政選挙」で初当選した後に取材を受け、「料亭に行ってみたい」と口にした。「国会議員といえば料亭というイメージだった。無職や派遣社員を経験して議員になり、26歳のあのとき、心の底から料亭に行きたいという素直な気持ちが言葉になったのです」
ただ、政治家になっても料亭に行く機会はほとんどなかった。記憶にあるのは、先輩議員に連れられて行った一席だ。大広間に約30人。会費制で1万円を支払った。
「料亭は日本文化を象徴するすてきな空間だと思います。でも、自分のお金でもう一度行きたいかと聞かれたら、進んで行きたいとは思いませんね」
衆院議員を1期務めて議員生活を終えた杉村さんにとって、「密談」が必要な場面も多くはなかったのかもしれない。会合は焼き肉や焼き鳥、居酒屋が多かった。「今は個室のある店もたくさんあり、政治の話をするために料亭に行く必要はなくなってしまったのだと思います」
衆院議長秘書を務め、1992年から参院議員を2期12年務めて引退した平野さんは、「料亭政治」を体感した。「昭和40年代ごろは、多くの政治家が寄付で集めたお金のほとんどを料亭につぎ込んでいた」と回想する。
「芸者を招いて歌や踊りが堪能でき、政治の話も遊びもできる」という料亭に、議長秘書時代には年間30回以上行っていたという。派閥内や派閥間の会合だけでなく、野党対策にも使われた。全国会議員の「丑(うし)年生まれ」で会を結成し、東京・築地にあった「新喜楽」や東銀座の「花蝶」で大いに盛り上がった。
大物政治家は、それぞれ行きつけの料亭を持っていた。永田町から近い赤坂の料亭が多く、平野さんによれば、安倍晋三首相の祖父、岸信介・元首相は「岡田」、河野太郎・前国家公安委員長の祖父河野一郎・元建設大臣は「香月」。田中角栄・元首相も「千代新」を懇意にしていたが、多くが店をたたんでいるという。
「欧米文化が入ってきて食生活も変わり、コメ文化だった料亭から遠のいていったのは時代の流れ。政治とカネに対する世間の目が厳しくなったことも料亭には向かい風になった」。こう振り返る平野さんは「当時の料亭は食事も芸者も超一流。最高のおもてなしの場だったな」と懐かしむ。(光墨祥吾)