水俣病の胎児性患者らが企画した石川さゆりさんのコンサートが11日、熊本県水俣市で開かれた。石川さんは熊本県出身で、38年余り前にも、患者の呼びかけに応えて水俣でマイクを握った。還暦を迎えた患者たちは車いすの上で耳を傾け、20代だったあの頃に自分を重ねた。
胎児性患者は生まれながらに水俣病を背負う。原因企業チッソが海に流した水銀で汚染された魚介類を、知らずに食べた母の胎内で影響を受けた。障害を抱え、成人しても自立の壁にぶつかった患者たちは前回、「人に認められることを成し遂げたい」と石川さんの公演を発案。周囲の協力も受け、「石川さゆりを招(よ)ぶ若い患者の会」として1978年9月に実現させた。
水俣病は昨年5月で公式確認から60年。患者たちも還暦を迎えた。60年を機に、前回の中心だった胎児性患者の滝下昌文さん(60)らが「若かった患者の会」を結成。再び石川さんを呼ぼうと動いた。仲間の多くが体の機能低下などで車いすの生活となる中「みんなで何かできるのは最後かもしれない」とチケット販売や宣伝に駆け回り、公演にこぎ着けた。
11日の公演前、仲間の患者7人と壇上に登場した滝下さんは、もつれる口でゆっくり述べた。「多くの人に助けられて今日を迎えられました。これからも私たちの人生は続きます。石川さんの歌、そして力を貸してくれる皆さまの思いが生きる力になると思います」
石川さんは「津軽海峡・冬景色」など20曲を熱唱。「お互いに20歳のころにお会いし、還暦を迎えた皆さん。どこまでこの道が続くのかわからないけれど、一生懸命に生きていかなきゃいけないなと思いました」とステージで語りかけた。
公演後、患者たちと臨んだ記者会見では、こう述べた。「(水俣病は)歴史の中の出来事じゃなくて、教科書の1、2行のことじゃなくて、(患者の)みんなが一生懸命生きていることを忘れないでいただきたいです」