棒パンをコンロにかざして数分も経つとこんがりと焦げ目がついて食べごろになる=青森市
パン生地を先端に巻き付けた竹ざおをコンロの炭火にかざし、焼きたてにジャムやマーガリンを塗ってかぶりつく。青森市のお祭りやイベントでおなじみの「棒パン」だが、どうやら市外では一般的ではないようだ。そのルーツとは!?
5日午前。晴天に恵まれた青森市の青い海公園では、高さ6メートル超の大型滑り台が目玉の冬祭りの一角で、その光景が見られた。1本200円のパン300個が1時間ほどで売り切れるほどのにぎわいだった。
「同じ火のところでぐるぐる回すんだよ」。十和田市から来た会社員、坪利也さん(41)は、初挑戦の長男の海瑠(かいる)君(4)に優しい口調で焼き方を教えていた。さぞベテランかと思いきや、地元では見たことがなく、こうしたイベントで青森市に来た時だけ参加しているという。「人混みの中で食べる雰囲気がまたおいしくさせます」
一方、青森市の会社員、張間久美子さん(33)は「小さいころから、お祭りといえば、という感じで当たり前にありました。ソウルフードですね」と笑顔だった。
■北欧発?雑誌ヒント
棒パンのルーツをたどって取材を進めていくと、あるパン製造会社に行き当たった。「赤田パン」(青森市幸畑)。赤田憲裕専務(72)は「青森ではうちが一番早く始めた」と話す。製造を始めたきっかけは三十数年前、知人の松森隆さん(64)からの頼まれごとだった。
松森さんは当時、青森青年会議所(青森JC)の理事として、青森市の合浦公園で開く子ども向けのイベントを企画していた。たまたま目にした雑誌に棒パンの写真が載っており、「おもしろそう」と赤田専務に生地の製造を相談した。松森さんによれば、写真は関東地方で撮影されたものだったというが、「北欧が発祥」との記述もあったという。
パン食文化の普及を進める日本パンコーディネーター協会(東京)は棒パンについて、「北欧から伝わったという話もあるが、はっきりとした根拠はない。遊びから生まれたもので、文化や伝承の中で行われたものではない」と話す。
■「協会」が普及へ活動
この棒パンを青森市の「名物」として広めようとする動きもある。
2015年2月には、県職員の間山創(はじめ)さん(30)が「日本棒パン協会」を発足させた。今のところ会員は青森市で生まれ育った間山さんただ1人だが、棒パンがあまり一般的ではない地区に出張ってイベントを開催。昨年10月にはむつ市のカフェで振る舞い、盛況を博した。
棒パンの歩みについて、間山さんは、市中心部で青森JCが始めた棒パンを、大人が学校行事の際にまねるようになり、次第に校区を軸に広がった、とみる。「棒パンが青森市民の誇りとなれば」と思いを語る。
青森駅前の商業施設「アウガ」に入るパン店「レコルト」は、棒パンに必要な竹ざおとコンロのセットを有料で貸し出している。「レンタルをやっているのはうちの店だけ」と谷川麻衣子店長(35)。イベントに出店した際「自宅でもやりたい」との声があり、レンタルを思いついた。
昨夏は十和田市在住の客からの依頼もあったといい、「市外にも広がっている」と実感している。2月末のアウガ閉店後も、移転先でもレンタルは続ける予定で、竹ざおだけの貸し出しも検討しているという。(中野浩至)