江戸川乱歩が1940年に本名・平井太郎名で出した手紙=岩田準子さん所有
作家の江戸川乱歩(1894~1965)が、妻や親交のあった人への手紙を大量に焼いていたことがわかった。友人だった三重県鳥羽市の風俗研究家岩田準一(1900~45)に宛てた40年の手紙2通にそうした記述があった。乱歩はこの時期に心臓を患っており、「生前整理」だったとみられる。
岩田の孫で、乱歩を研究する鳥羽市の文筆家岩田準子さん(49)が19日発表した。自宅に乱歩の書簡類87通が残っており、東京の自宅から岩田に送った手紙を調べるうちに記述を見つけた。
「青年時代よりのいろいろの相手の手紙(主として議論の)夥(おびただ)しく保存しあり、これらも次に整理して行かうと思ひます。家内との文通が巻物にして保存してあるのですが、これも子供に見られたら恥しく、焼却します」(10月8日付)
「この用心は、この頃の不健康から万一の場合をおそれてですが、若(も)し僕にインテリの息子がなかったら、これほど用心しなかったかも知れません」(同)
乱歩は作家デビュー前の17年から1年余、鳥羽に滞在。後に妻となる隆(りゅう)や、岩田と出会った。
岩田とは後年、同性愛の文献を研究し、書簡で互いに紹介していたという。10月25日付の手紙には、岩田から返されたとみられる手紙を含め、二尺(約60センチ)の厚みの束を焼いた、との記述がある。準子さんは「同性愛の研究について、世間に好奇の目で見られ、息子の将来に影響するといけないと思ったのかもしれない」とみる。
鳥羽市では、乱歩が隆にあてた手紙にあったとされる「志摩はよし/鳥羽はなおよし/白百合の/真珠がごとき/君のすむ島」との一文にちなんで、市民グループが昨年、恋文を募集した。ただ、手紙自体は見つかっていない。準子さんは「この手紙も焼却されてしまった可能性がある」と話す。(荻野好弘)