2016年8月15日、リオ五輪の男子100メートルの表彰式で金メダルを手にポーズをとるボルト
■歴代担当記者がみたボルト
【特集】ウサイン・ボルト
世界最速の男、陸上のウサイン・ボルト(ジャマイカ)が8月4日にロンドンで開幕する世界選手権でラストランを迎えます。歴代のスポーツ記者5人が至近距離で見た栄光のスプリンターの足跡、素顔を紹介します。
彼が一番最初に100メートルの世界記録をマークしたのは、今から9年2カ月前の、ニューヨークの小さな競技会。日本の記者はその場に2人だけだった。
仮設テントに作られた8畳ほどの記者会見場。100メートルで初めて世界新記録を打ち立てた21歳のボルトを囲む記者は、10人ぐらいだったような記憶がある。はっきりいえるのは、日本の記者は、私を含めて二人しかいなかった。
今から9年前の2008年5月31日。夜半まで雨が降りしきるニューヨークの陸上大会だった。当時アサファ・パウエル(ジャマイカ)が持っていた世界記録を0秒02上回り、ボルトが9秒72で駆け抜けた歴史的な瞬間に幸運にも居合わせた。
レース後、折りたたみのパイプいすに座って受け答えするボルトのすぐ真横で取材できた。今でも覚えていることがある。それは、彼から伝わってくる「自分への自信」だ。
その一つが、英語力だ。当時、ボルトの英語は、いまのように流暢(りゅうちょう)ではなかった。私の語学力の問題もあるが、なまりの強すぎる彼の発音は、何を言っているのかわからないことが多かった。取材後、分からなかった部分を、居合わせた米国の記者に聞いたが、同じ印象を持っていた。それでも通訳を付けず、「さあ俺の話を聞いてくれよ」と物おじせず、堂々と語り続ける若きボルトの姿には、メンタリティーの強さを感じた。
ボルトが世界最速のスプリンターになった瞬間を見られたのはひそかな自慢だが、恥ずかしながら、それまで彼の顔さえ知らなかった。当時、私はニューヨーク駐在のスポーツ記者。取材の主戦場と言えば、大リーグやバスケットボール。たまたま時間が空いたから、その前年の大阪での世界陸上で「三冠」を達成したタイソン・ゲイ(米)が走るレースを記事にしようと思って足を向けただけだった。正直、ボルトの「ボ」の字も頭の中になかった。
激しい雨に見舞われ、男子100メートルの決勝は予定より2時間遅れの午後11時すぎ。トラックは雨にぬれていて、正直、たいしたタイムは出ないだろうと、高をくくっていたところに、まさかのボルトの世界新記録。ホームスタンドに約5千席しかない小さな競技場は、興奮に包まれていた。(村上尚史)