「ステレオタイプを超えて」
フォーラム面で議論した「ジェンダーとメディア」について9日、セミナーを東京・内幸町で開きました(朝日新聞ジャーナリスト学校主催)。ニュースやドラマ、CMの表現に潜むステレオタイプにどう気づき、どう超えてゆくか。海外の潮流や、スポーツ報道でのジェンダー像の偏りなどを学び、パネルディスカッションでテレビや新聞、広告の作り手が、現場での試みや新しい表現への視点などを話し合いました。
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パネルディスカッションのテーマは「ステレオタイプを超えて」。主な発言を紹介します(敬称略)。
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駒崎弘樹(NPO「フローレンス」代表理事) 男女、とりわけ女性の描かれ方には違和感を持つことが多い。特に子育ては、まだまだ女性の仕事として描かれています。子どもがいるので子ども番組をよく見ます。女性が仮面ライダーに変身するシリーズは新鮮でした。一方で、女性が固定的な描かれ方をしているものも多い。試行錯誤は伝わってきますが、「もうひと押し」と思っています。
高田聡子(広告会社「マッキャンエリクソン」クリエイティブディレクター) 昨今CMなどの「炎上」が相次いでいます。広告は世の中の少し先のニーズ、人々が何となく「こういうものがいいな」と思っているものに形を与えていくメディアなのに、現実から2歩も3歩も後れをとっているように感じました。女性差別の表現は、男性からというより全体のカルチャーから生まれます。広告業界にも女性が増えてはいますが、決定権者は圧倒的に男性が多く、若い女性は物申せない。そこが変わらないと、世の中に出る表現も変わらないのではないでしょうか。
大門小百合(英字新聞「The Japan Times」執行役員) 以前、外務省が作った、ハーグ条約について解説するパンフレットがありました。その中の、日本人女性がDV被害者、外国人男性が加害者といったイメージのイラストを見た外国人寄稿者が、「バイアスがかかっている」と記事を書いたことがあります。外務省に悪気はないのでしょうが、発信側は、想像力を働かせ、世界からどう見られるかを考えないといけない時代になっています。
宮崎真佐子(「TBS」プロデューサー) 家事を、給料が発生する労働ととらえ、契約結婚したカップルを描いたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を手がけました。沼田さんというゲイの登場人物がいたのですが、「クネクネしてオネエ言葉を使う」といった、ありがちな表現は使わない、と最初の段階で決めました。特異な存在ではなく、ただ恋愛対象が男性なだけ。そういうキャラクターづくりをしました。
津田環(たまき)(番組制作会社「テレビマンユニオン」プロデューサー=会場から発言) インターネットテレビ局AbemaTVの番組「Wの悲喜劇~日本一過激なオンナのニュース~」を制作しています。これまでは「女性向け番組」といっても、男性が「女性はこういうことを考えているんでしょ」と作るものが多かった。「悲喜劇」は、女性MCとゲストたちにテーマだけを伝え、自由にしゃべってもらっています。それを見て男性スタッフたちは「女性たちはこんなことを思っていたのか」と驚いている。私としては「そうか。知らなかったのか」と。まだまだそういう状況だということを踏まえて、番組を作っています。
駒崎 NPOの仕事は課題解決。目の前で困っている人に病児保育や障害児保育を提供してきました。でも、より上流で、課題を作り出している人々の意識や社会構造がある。(ブログなどで)あえて人々の心をざわつかせるような表現をするなど、課題の根源を変えるために最適化した文章をいつも考えています。
大門 女性が決めたから良い、ということでもない。ラブドール(主に男性が愛玩や性処理に使う人形)の制作会社が展示会をした時のこと。記者が「日本の繊細な技術を生かしたアート作品、という切り口で書きたい」と言い、女性デスクも私も問題ないと判断しました。でも翌日、編集会議に日本人女性記者が入ってきた。「性が商品として扱われているようで不愉快だ」と。ニュージーランド人の編集者からも、同国ではこうした人形の所持や輸入は違法だと知らされました。多様なメンバーと対話することで日々発見があり、「ではどうするか」という議論につながっています。
高田 誰かの自由に生きる選択肢を狭めてしまうような表現は、表現の自由とは相いれないと思います。「このステレオタイプを用いないと『カッコイイ男』は描けない」と言うのなら、それは制作者としては敗北宣言。新しいかっこよさを追求すればいいのです。
昨年、ある海外メーカーが若い男性向けの香水の広告キャンペーンを一新しました。かつては「さえない男子が香水をシュッと吹きかけると、たちまち女子にもてる」みたいな表現をしていましたが、オタクやゲイ、障害者、太った人など今までの「男らしさ」の表現では取り上げられなかった男性たちを登場させ、大成功した。表現の可能性は非常に広がっていると感じています。
広告業界の制作現場は、今でもかなりの男性社会。だからこそ、制作者として、こんなにピュアなブルーオーシャン(競合相手のいない領域)が見つかるマーケットもない。ここに持ち込めるものは、まだまだいくらでもあると信じてやっていきたいです。
■思い込み知る「問う表現」を 小島慶子さん(エッセイスト)の基調講演
朝日新聞のパブリックエディターとして、読者の意見に目を通します。男子のセクハラに悩む女子中学生の相談に「悪ふざけにはあなたの『大人』を見せるのが一番。手を握り『好きな人にしか見せないし触らせないの、ごめんね』と言ってみて」と女性タレントが回答した記事や、乳房をつつくと反応する人型ロボットを肯定的に取り上げた記事に、多くの批判が寄せられました。
朝日新聞に尋ねると「相談者の母娘は女性タレントの回答に喜んでいた」「制作者は女性で女性観客は笑っていた」からOKだろう、と判断したことが分かりました。
女性を差別するのは男性とは限りません。身体をモノのように扱われたり性的嫌がらせを受けたりしても、笑って受け流すのが強さ、と思い込む女性もいます。テレビ局のアナウンサーだった頃、「女性らしい」役割に悩みました。誰の求める「女」なのか?と。ステレオタイプの強化にも加担したくありませんでした。
悪気のない言動が、女/男はこうあるべきだ、という押しつけになることもある。思い込みに気づくきっかけになるような「問う表現」が増えるといいと思います。
■特定の言い回し、使わない 野澤健さん(エコネットワークス代表)の講演
海外でも炎上するジェンダー表現がある一方、固定観念を超えた、多様な表現の試みも広がっています。
英広告基準協議会(ASA)が、新たな広告規制基準の策定に着手しました。7月に出た報告書では、性を巡る規制の基準を「侮辱や差別」から「ステレオタイプ化の助長」にかじを切っています。
たとえば「やせている方が魅力的」といった体のイメージを扱う内容、散らかった部屋を女性が1人で片付けているような、性役割を固定化する内容、男性が育児や家事で失敗するなど、ステレオタイプに合わせないものを嘲笑する内容などが規制される例として挙がりました。
固定観念への反応は国によっても違います。たとえば8月、野田聖子総務相が記者会見で「育児との両立」を尋ねられました。同じ月、子どもを持つかどうかテレビ番組で聞かれたニュージーランドの女性党首が「2017年にそんな質問は許されない」と抗議しました。
固定観念を払う試みの一つとして、最近では性の多様化を踏まえ、ロンドンの地下鉄が構内放送で「レディース・アンド・ジェントルメン」を使わないと宣言し、米女性誌は「アンチエイジング」を使わないと宣言しています。
性を巡る表現への認識は時代とともに変わります。メディアは社会の鏡といわれてますが、よい方向に向かう鏡になってほしいと思います。
■「安易な物語」多いスポーツ 森田浩之さん(ジャーナリスト)の講演
メディアとスポーツ。この二つが合体した「メディアスポーツ」は最強のタッグです。私たちの日常生活に広く、深く入り込んでいます。
「スポーツは清新で健全」という空気の中、メディアスポーツには重要な価値観、例えば「女らしさ、男らしさ」に絡む物語も多く、ジェンダー観に静かに働きかけてきます。
メディアスポーツは男性アスリートを自律的、能動的な存在として描く一方、女性を依存的、受動的と特徴づけることが多い。女性が好成績を収めると、たいていコーチや監督など「支える男」も大きく取り上げます。女性の業績を小さく見せる矮小化(わいしょうか)のプロセスが、周到に作動しています。
「支える女」のニュースも気になります。部員ゼロの危機に陥った高校野球部で、女子マネジャーが新入生の勧誘に奔走、この夏予選出場を果たしました。ニュースになったのは、男性の伝統的組織の存続に女性が貢献したという構図のためではないでしょうか。部員不足の女子バレー部を残された女子部員が救っても記事になりにくい。
「スポーツはジェンダー問題最後の壁」とも言われます。手ごわいですが、メディアが安易な物語を量産しないことと、受け手が安易に物語に酔わないことが改善への一歩だと思います。
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ステレオタイプにならわないと表現できないと言うのは、制作者の「敗北宣言」。セミナーのこの言葉を手がかりに、最近感じていた自分自身の記事の表現への違和感を突き詰め、ステレオタイプを崩していくことにつなげられたら、と感じています。(錦光山雅子)
◆ほかに円山史、三島あずさ、山田佳奈が担当しました。
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