会ったことも、しゃべったこともない祖父のことを知りたくて、米国生まれの青年が長崎にやってきた。手がかりは、1945年秋に長崎を訪れた祖父が、家族に送った被爆後の長崎の写真17枚。それから72年。青年は被爆者の案内で長崎市内を巡った。
【写真特集】ナガサキ、フィルムの記憶
特集:核といのちを考える
青年は米カリフォルニア州出身のトレバー・キャロル・スレビンさん(24)。大分県玖珠(くす)町の小学校で、ALT(外国語指導助手)として働いている。
10月28日、トレバーさんは雨が降る長崎市の路上で、傘もささずにスマートフォンのシャッターを切っていた。「これが唯一、おじいちゃんのことを知る方法」。ビルや家屋が立つ今の景色と、祖父が残した72年前の長崎の写真の風景を重ねた。
祖父のキャロル・スレビンさんはトレバーさんが生まれる3カ月前に72歳で亡くなった。終戦の翌月に海兵隊員として長崎へ。母国の家族に宛てた手紙には、滑走路の建設に携わったことや、貧しい生活ながらも米兵に親切だった市民のことが記されていた。
写真はその手紙に同封されていた。今となっては、何枚あったのかも分からないが、トレバーさんの手元にあるのは17枚。写っているのは、がれきに覆われた谷、鳥居がぽつんと立つ山の裾野、そして重機にもたれる祖父の姿など。
トレバーさんがこれらの写真を…