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ジェンキンス氏「アイドル的存在だった」 佐渡で悼む声

作者:原裕司  来源:asahi.com   更新:2017-12-13 9:48:52  点击:  切换到繁體中文

 

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佐渡市内の観光施設で働いていたジェンキンスさん=2007年10月


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北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(58)の夫、チャールズ・ジェンキンスさん(77)が11日、亡くなった。新潟県佐渡市内の自宅の外で倒れているのを長女が発見し、市内の病院に搬送されていた。突然の訃報(ふほう)に、親交があった人たちはジェンキンスさんを悼み、曽我さん一家を思った。


ジェンキンスさん死去 拉致被害者曽我ひとみさんの夫


曽我さん「今は何も考えられない」ジェンキンスさん死去


ジェンキンスさんは、在韓米軍に所属していた1965年に軍事境界線を越えて北朝鮮に入り、78年に拉致された曽我さんと、80年に結婚した。曽我さんが帰国した2年後の04年、娘2人と北朝鮮を出国。経由地のインドネシアを経て、同年12月から家族4人で佐渡で暮らしていた。


本間啓五さん(66)は、日本語ができなかったジェンキンスさんの通訳を13年間務めてきた。12日、報道陣の取材に応じ、「驚いています。あまりに突然だった」と話した。


通訳だけではない交友があった。「よく自宅に遊びに行って、ご飯を一緒に食べた。酒も肉も好きで、ステーキやハンバーグ、チーズを食べたな」


ジェンキンスさんは来日後に免許を取り、250ccのバイクで佐渡を走り回っていたという。「楽しい人生だったのでは。佐渡に来た時は体重が50キロなかったが、次第にふくよかになってきた」。今年は、孫が生まれたことを喜んでいた。拉致問題については「解決してほしいが、今の北朝鮮は……と言っていた」という。


ジェンキンスさんは、市内の観光施設「佐渡歴史伝説館」で11年間働いていた。館長の松田輝義さんは「朝のニュースで知り、びっくりした。あんなに元気だったのに」と話した。「非常にまじめで、遅刻は一度もなかった。同僚にジュースやアイスをおごったり、雑談をしたりして、アイドル的な存在だった。観光客にも人気があり、電話の問い合わせもよくあった」と振り返った。


「曽我さん母娘を救う会」会長…




 

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