ノーベル平和センターで展示されている被爆資料。左から時計回りにかばん、弁当箱、ロザリオ、腕時計=12日午後、オスロ、林敏行撮影
国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)のノーベル平和賞受賞を受け、授賞式があったノルウェー・オスロにある「ノーベル平和センター」で12日、広島・長崎原爆の被爆資料の展示が始まった。被爆死した人々が身につけていた品々を通し、日常生活を一瞬で破壊する核兵器の非人道性を訴える。センター2階の展示室にはこの日、さっそく多くの人たちが訪れた。
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センターでは、歴代のノーベル平和賞に関する資料が1年ごとに展示されてきた。今回は日本の関係施設から、かばんや防空頭巾、ロザリオ(カトリック教徒が使う数珠)、腕時計、弁当箱が貸し出された。
そのうち、かばんと防空頭巾は、広島市立造船工業学校(現・市立広島商業高)1年生だった舛田幸利さん(当時13)のものだ。1945年8月6日、爆心地から500メートルの場所で、空襲による延焼に備えて事前に建物を取り壊す「建物疎開」の作業をしていて被爆したとみられる。
「兄は優しくて寡黙な男でした」。弟の益実さん(83)は当時小学5年生で、爆心地から3・6キロ離れた学校の校庭で被爆。自宅は無事だったが、近所には倒壊した家もあった。次々逃げてくる人がいるのに、いつまでたっても兄は帰宅しなかった。翌日、近所の人が、市中心部で見つけたという名札が付いたかばんと防空頭巾を届けてくれた。召集先の山口から戻った父親が市内を捜し回ったが、消息は不明だった。
益実さんはICANの平和賞受賞と遺品の展示について、「兄も喜んでいると思う。広島の人間として、二度とこのようなことは起こってほしくない」と話している。
腕時計は、針が8月9日の長崎原爆投下時刻の「11時2分」を指して止まったままだ。被爆しながら救護にあたった医師で「長崎の鐘」を書いた永井隆博士(1908~51)の弟、元(はじめ)さんが長崎原爆資料館に寄贈した。博士の孫徳三郎さん(51)は腕時計について、「元が戦後、家の近くで見つけたものでは」と推測する。
腕時計が原爆資料館に所蔵され…