1月に行われた国際親善大会で、試合開始前に国旗を交換し合う韓国のハン・ミンス主将(左)と須藤悟主将=加藤諒撮影
平昌パラリンピックで、競技が始まる10日に韓国で最も盛り上がりそうなのが、アイスホッケーの日韓戦だ。すでに前売り券は完売。メダル候補の韓国チームの礎には、日本チームとの深い交流がある。
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始まりは、1台のスレッジ(そり)だった。
長野パラリンピックがあった1998年。日本では代表と四つのクラブチームが立ち上がっていたが、韓国には選手が一人もいなかった。韓国で「パラアイスホッケーの父」と言われる故イ・サングン氏がその年、日本選手を招いてデモンストレーションを開催。日本側が記念にスレッジを一つ置いていった。
イ氏は、車いすバスケットボールの選手だった大学生らに声をかけ、ソウルにクラブチーム「延世(ヨンセ)イーグルス」を設立。そこに、今の韓国チームの主将、ハン・ミンス(47)もいた。
2000年11月、ハンらは講習を受けに初来日。まっすぐ滑ることもできず、氷に頭をぶつけた。日本選手の映像を見てスティックの使い方、パックの打ち方を基礎から研究した。「本当に多くのことを学ばせてもらいました」。日本との最初の試合は0―13で敗れた。背中を追い続け「日本には20回くらい行きました」と振り返る。
練習を重ね、0―8、0―5、0―3と点差は少しずつ縮まった。06年、平昌がある江原道(道は日本の都道府県にあたる)に強化拠点ができ、レベルが向上。10年バンクーバー大会には世界最終予選を突破し、日本に次ぐアジアで2カ国目の出場。12年世界選手権は銀メダルに輝いた。
一方、バンクーバーで銀の日本は低迷。14年ソチ大会は出場を逃し、韓国が出場。今季の世界ランクは韓国が3位で日本が7位と、立場は逆転した。
「ちょっと残念です。アジアには2チームしかないので」。ハンは「他のチームは『敵』という感じだけど、日本は友だちって感じですね」。同い年の日本の主将、須藤悟は「選手村の食堂でミンスに会い、食事はどうだ、リンクはどうだと気をつかってもらっちゃいました」。
日本が「最も重要」と位置づける日韓戦。開幕前、韓国は大歓声を想定し、大音量の音楽の中で連係を確認していた。ハンは「準備は十分にしてきたし、自信もある。日本戦は油断せず戦い、必ず勝ちたい。そして決勝まで進むつもりです」。アジアで初の金メダルを目指す。(菅沼遼)