2013年に日本一になり、秋季キャンプで地元・岡山県倉敷市に戻ってきた星野仙一監督(右)
プロ野球の中日、阪神、楽天の元監督で1月4日に70歳で亡くなった星野仙一さんの故郷、岡山県倉敷市の倉敷マスカットスタジアムで9日、楽天―西武のオープン戦があった。球場正面入り口付近には献花台が設けられ、多くのファンが花を手向けた。
倉敷商業高時代から星野さんのファンだったという岡山市の男性(84)は「監督になっても変わらず戦う人間だった。こうこうと光る岡山の星」と振り返った。
献花台でゆっくりと手を合わせていた倉敷市の主婦(49)は、子どもの頃に名古屋にいた祖父母に連れられて星野さんが投げる試合を見に行った時からのファン。「きょうは楽天が優勝するのを見守ってくださいと伝えました」
郷里を大切にした星野さんがそれぞれの監督時代、秋季キャンプで使ったのもこのスタジアムだった。
球場を管理する倉敷スポーツ公園の田中隆志主任は、中日時代からキャンプを支えてきた。歓迎セレモニーなどで「球場が良いから、整備をしている人がいいから来ているんだ」と話した星野さんの言葉が印象に残っている。「ここ2、3年は顔色が悪そうに見えた。病気だったのかなと思うが、亡くなられて悲しい」と話した。
星野さんをしのぶ動きは地元にとどまらず、ゆかりがあった各地で広がっている。
今月3日にあったナゴヤドームでの中日―楽天のオープン戦では、中日の選手らが星野さんがエース時代につけていた背番号「20」を背に、胸には監督時代の「77」がプリントされたユニホームを着用し、両チームで黙禱(もくとう)をささげた。
10日に甲子園である阪神―中日のオープン戦も追悼試合として行われるほか、東京や大阪でもお別れの会が開催予定だ。公式戦では4月3日に仙台である楽天―日本ハム戦で、楽天の選手たちが背番号「77」のユニホームを着用する。
楽天の嶋は、「勝負の執念とか、負けて悔しいという気持ち。それを星野さんが植え付けてくれた。忘れないようにしたい」と選手の気持ちを代弁した。(大坂尚子)