大通りにあふれる津波=1960年5月、気仙沼市南町、小泉淳さん提供
東日本大震災の約50年前、東北沿岸を襲った1960年のチリ地震津波。当時の白黒写真を人工知能(AI)でカラー化し、当時の記憶をたどると、東日本大震災と似た光景が浮かび上がった。写真に写る気仙沼の関係者が語った「津波は怖くなかった」という証言。現代に「解凍」された記憶の意味を探った。
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KHB東日本放送、朝日新聞、首都大学東京の渡邉英徳研究室では、チリ地震津波(1960年)の写真カラー化プロジェクトを進めてきた。チリ地震津波直後の気仙沼市南町の様子を写した写真(小泉淳さん提供)。早稲田大の石川博教授らの研究グループが開発した技術を利用して、カラー化すると、大通りを覆う水がより立体的に浮かび上がってくる。人々の足元まで深さがあり、木の箱が浮かぶ。
この場所を反対側から撮った写真も見つかった(気仙沼ライオンズクラブ提供)。最初の写真の左上にあった「館」という看板は、「松軒旅館」の看板だった。現在は、「セントラルホテル松軒」としてこの場所より1・5キロ離れた内陸部で営業を続ける松軒旅館。当時を知る、会長の鈴木章平さん(81)に話を聞いた。
鈴木さんは当時大学を卒業したばかりの23歳。卒業してすぐ家業の松軒旅館で働きはじめたという。
「ちょうど今私が立っているあたりまで水が来ましたよ」
松軒旅館のあった場所で当時の様子を話す鈴木さん。鈴木さんは、チリ地震津波は「音も無く、ジワジワと水位が上がった」と振り返る。水がやがて旅館内にも押し寄せ、旅館の床の高さを超えると、ようやく大通りに人々の驚く声が響いてきたという。
「この前の道路でだいたい1メートルくらい水位がありました」
徐々に大きくなる人々の騒ぐ声。しかし、鈴木さんは自分でも驚くほど冷静だったことを覚えている。
「波がね、ジワリジワリと来たから。1回でザブンと来た感じではなかったんですよ。ですから怖さはそんなになかったの」
床上浸水したものの、家屋への被害はほとんどなく、1週間ほどすると元の生活に。鈴木さんは津波に怖さを感じなかったことが東日本大震災では、油断を生んだと言う。
「家に浸水したことは事実だけど怖さはなかったの、チリ地震では。逆に、だから油断してたのね。津波は来ないべ、とか私もみんなも思ってたよ」
7年前の東日本大震災直後。鈴木さんはすぐに避難せず、倒れた神棚や家具を片付けていた。そこに現社長の長男・淳平さん(56)が現れ、逃げるように促す。裏山の神社に避難した直後に来た津波は、付近一帯を破壊し、旅館も全壊した。東日本大震災直後の南町周辺は家屋の倒壊やがれきが目立ち、チリ地震津波に比べ被害が大きかったことがわかる。
「片づけを続けていたら死んでいた」と振り返る鈴木さん。チリ地震津波の経験があったからこその油断だった。
チリ地震津波と東日本大震災。二つの津波を経験した鈴木さんの教訓は「津波は予想を超える」。
「チリのときは大丈夫だったと思って油断してたのが悪かった。もし津波が来たら、逃げる。それしか方法はないと思いますよ」
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