石牟礼道子さん
水俣病の実相を描いた小説『苦海浄土』(1969年)で知られ、2月に90歳で亡くなった作家、石牟礼道子さんをしのぶ会「石牟礼道子の宇宙(コスモス)」(藤原書店主催)が11日、東京都新宿区の早稲田大学で開かれた。人間と自然がともに傷つけられた苦しみに向き合い、紡がれた石牟礼さんの言葉。その言葉をどう受け継いでゆくか、ゆかりの作家らが語り合った。
「水俣病は、ものを食べる人なら誰でもかかり得た病。(被害者は)私だったかもしれない、という想像力を伝えていきたい」
『苦海浄土』を読み、石牟礼さんの熊本市の療養先や、熊本県水俣市を訪ねるようになった作家、赤坂真理さんはそう語った。
有機水銀を含む工場排水を海に流し続けたことで魚介類が汚染され、水俣病を発生させた企業チッソ。一方、その工場でつくられた化学原料が日本の高度経済成長を支え、私たちの生活を豊かにした側面もある。
赤坂さんは原子力発電所に、よく似た構図をみる。原発による電力を都市部へと送り、経済成長を支えた福島は「水俣と似ている」とも話した。
60年代から交流のあったルポライター、鎌田慧(さとし)さんは「石牟礼さんは、僕らが公害や運動を書いた言葉とは、まったく違う言葉を生み出した」と振り返った。
鎌田さんは〈みしみしと無数の泡のように、渚(なぎさ)の虫や貝たちのめざめる音が重なりあって拡(ひろ)がってゆく……〉という『苦海浄土』の一節を朗読。人も魚も貝たちも「ひとつながりの生命」ととらえ、それが人間の営みによって破壊されたとみる石牟礼さんの視点に「影響を受けた」と明かした。
講演を任された作家の高橋源一郎さんは、幼児期に脳炎にかかり障害の残った息子のことを話し始めた。
同じように障害のある子どもの保護者たちが「この子がいなければ、私は傲慢(ごうまん)な人間のままだった」と話す姿に強い印象を受けた高橋さん。障害者施設に通うようになり、重い障害のある乳児を抱かせてもらったことがあるという。
「人間がこんなにも、というほど厳しい(乳児の)視線。でも生きている。そう、腕の中で感じた。その時、石牟礼さんが水俣病患者の少年を書いた意味が、初めて自分の肌で実感できた」
高橋さんは、石牟礼さんの言葉に「世界のあらゆるもの(命)は、つながりがある」という思想をみる。「いま私たちのまわりにあるのは、分断と断絶の言葉。でも、石牟礼さんが残した言葉の森の中に、救いとなる考え方がある気がする」
失われたもの 想像させる力
石牟礼さんを悼む作家たちの言葉を聞きながら、自伝的エッセー『椿(つばき)の海の記』の一節が思い浮かんだ。
〈この世は生命あるものたちで成り立っている。この生命たちは有形にも無形にも、すべてつながりあって存在していた〉
石牟礼さんが本紙に連載したエッセー「魂の秘境から」(2015年1月から西部本社版、17年4月から全国版)。パーキンソン病と闘いながら、亡くなるひと月前まで口述筆記で伝え続けようとしたのも、この「命つながる世界」のことだったのだと思う。
17年春から、口述筆記のお手伝いをさせていただいた。呼吸が苦しくなる発作に、日に何度も襲われる。そのわずかな合間、ぽつりぽつりと語られるのは、幼い日々のこと。貝や魚があふれ命さざめく渚や、キツネや妖怪たちが夜な夜な集うという海辺の塘(とも)(土手)の思い出だった。
水俣病について、直接語ることは少なかった。それでも、石牟礼さんのつぶやく言葉によって、目の前によみがえる美しい不知火(しらぬい)海の情景の背後には、やがて訪れる病の影がぴたりと貼り付いて見えた。
石牟礼さんの言葉は、読む人をかつて確かに存在した豊饒(ほうじょう)な世界へといざなう。同時に、その喪失に立ち合わせる。人の営みによって何が失われたのか、想像させる。石牟礼さんが、その身を削って紡いだ言葉の力にほかならない。(上原佳久)
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『魂の秘境から』は4月20日、朝日新聞出版から刊行されます。