「東京一ハイカラな学校」と言われた文化学院の登校風景=1935年ごろ撮影
建築家の西村伊作や与謝野晶子・鉄幹夫妻らを中心に創設された「文化学院」(東京都墨田区)が31日、閉校する。自由な教育方針で数多くの芸術家や文化人を輩出した学校が、97年の歴史に幕を閉じる。
文化学院は1921年、千代田区内に創設された。芸術や文学による人間教育を目指し、国の学校令によらない自由な校風が特徴だった。校舎は英国のコテージのようなデザインで、服装も各自の好みに任されていたという。
講師陣は第一線で活躍する文化人が多く、与謝野夫妻や有島武郎、山田耕筰らも教壇に立った。関東大震災で校舎が焼失し、戦時中には強制的に閉鎖されたこともあったが、戦後に再開し、1972年には専修学校となって文学や美術を教え続けていた。
だが、経営は次第に苦しくなっていたとみられる。2年前には、高卒以上の生徒が通う専修学校の募集を停止。今年2月には、都内で医療専門学校などを展開する了徳寺学園と合併し、3月末をもって閉校することを公表した。最後の卒業制作展も3月11日に終わった。
了徳寺学園によると、4月以降は卒業証明書の発行など、事務手続きを同学園が引き継いでいくという。文化学院はホームページで「閉校することは断腸の思いです」と記し、「創立100年を迎えることはできませんでしたが、皆様においては文化学院のよき精神を心に抱きつつ、今後のご健闘をお祈り申し上げます」としている。(円山史)