月まで3キロ――。月へと導く道路案内が目を引く=浜松市天竜区
月まで3キロ――。浜松市天竜区の山あいを車で走っていると、思わず目を引く道路案内に出会う。月は意外と近いのか。訪ねてみると、月に思いをはせる人たちの歩みがあった。
月への案内は、車が行き交う船明のトンネルから外れた県道360号にある。たまに通る車が過ぎると、風で森が揺れる音や小鳥のさえずりだけが山に響く。
橋を渡り、ダム湖沿いの道を抜けると月にすぐ着いた。38万キロ離れた空に浮かぶ月とは違い、ここは月という集落。3月中旬に訪ねると、サクラが咲き誇り、全国高校選抜ボート大会の準備が進んでいた。
「月という響きも、込めた思いも素晴らしいと思っています」
月で生まれ育った元浜松市職員の田辺徹さん(71)は話す。学生時代に都会に出たが、月に戻ってきた。
田辺さんが自治会長だった2015年、月を後世に伝えようと、みんなで月が生まれた地に石碑を建てた。由来をこう記した。
南北朝時代、楠木正成に仕えた鈴木左京之進は、一族郎党12人と落ち延びてこの地に屋敷を構えると、正成公の心の清らかさこそ中空にかかる月のようであると考え、自身の心のあり方を村の名につけた。また一説には、いまはわずかな人数だが、やがて満月のように発展するように願ってつけた――。
橋ができる前までは渡し船に乗らないと行けない月だったが、林業で栄え、約60年前には、地元の月小学校に約110人の子どもたちが通うまでになった。
しかし時代とともに過疎は進み、月の住民はいま、ほとんどが高齢者の約35世帯65人に。月小も統合されて久しく、いまはない。
それでも、月を盛り上げようと、若手や女性たちが中心となり30年近く、中秋の名月にあわせた「ムーンライトコンサート」を湖畔で開いてきた。月夜に「コンドルは飛んでいく」といった名曲が響き、多い時には約500人の観客を魅了した。
月に商店はなく、買い物も通院も不便だが、いまなお「鈴木さん」が多く暮らし、支え合う。導かれるように訪れてくる観光客も少なくない。田辺さんは月の魅力をこう話す。「ここには満天の星と月があり、夜空を行き交う飛行機に思いをはせる。これほどのぜいたくはないですよ」
気になる 銭取・新幹線・・・
浜松市内には徳川家康にまつわる地名が多い。「小豆餅」「銭取」「阿弥陀」などで、家康が三方ケ原の戦いで敗走した時の伝説が面白い。市博物館の宮崎貴浩さん(38)は「若き家康が浜松に住んでいた証明として、住民らは地名に残したのでは」と話す。
県内には、函南町の「新幹線」、掛川市の「美人ケ谷」、牧之原市の「女神」など気になる地名も。
住所から消えてしまった地名でも、バス停などで名が残っている場合がある。
民俗学者の谷川健一さん(故人)が中心になって立ち上げた日本地名研究所の3代目所長・関和彦さん(71)は、地名はいま、市町村合併や過疎化、開発により、改名や消失する危機を迎えていると指摘する。
「地名は歴史を振り返れば、『地命』『地の命』とも言える。空気と似て意識せずにお世話になっている地名を大切にして守っていきたい」と話す。(張春穎)