事故発生とほぼ同時刻に現場を通過する電車。電車が衝突したマンション跡はアーチ状の屋根に覆われている=2018年4月25日午前9時17分、兵庫県尼崎市、小川智撮影
乗客と運転士計107人が死亡、562人が負傷したJR宝塚線(福知山線)脱線事故から13年となった25日、兵庫県尼崎市の事故現場には早朝から多くの人が慰霊に訪れた。事故が起きた午前9時18分に合わせ、快速電車が追悼の警笛を鳴らして通過した。
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現場近くのホールでは、JR西日本主催の追悼慰霊式があり、遺族や負傷者ら868人が参列。黙禱(もくとう)の後、来島達夫社長は「皆様の尊い命、満ち足りた日々を、私どもは突然に奪ってしまった。ただただおわびを申し上げるしかない」と謝罪した。昨年12月に新幹線のぞみ34号の台車に破断寸前の亀裂が見つかった問題にも触れ、「安全に対する信頼を大きく揺るがすもので、取り組みに何が足りなかったかを深く反省し、鉄道の安全を不断に追求していく」と改めて誓った。
電車が衝突した9階建てマンションは、JR西日本が最高4階まで階段状に残して屋根をかける工事を進めている。現場全体を「祈りの杜(もり)」とし、慰霊碑や犠牲者名の碑、教訓を伝える資料室などを設ける。今夏にも完成させ、来年から追悼慰霊式を開く予定だ。
2両目に乗り重傷を負った小椋聡さん(48)=兵庫県多可町=はこの日、大きく姿を変えた事故現場を見て、「自分にとって人の生き死にが間近に感じられる場だったが、きれいに整備された。事故を実感するのが難しい」と語った。
同じ2両目に乗り、腰の骨が折れた大阪府豊中市の会社員、増田勇人さん(32)は「暗いところ、狭いところ、金属の焦げた臭いが今でも嫌。当時を思い出してしまう」。職場までは車で通勤しているという。同じ車両で亡くなった人たちのことを思い、献花台に花を手向けた。