シャペコエンセを応援するサポーター=2018年5月7日午後8時42分、ブラジル・シャペコ、岡田玄撮影
史上最多のワールドカップ優勝5回を誇る「サッカー王国」ブラジル。大都会から田舎の村々まで、フッチボウ(サッカー)は人々の暮らしに深く根ざす。
飛行機事故で選手19人が死亡、サッカー大国を襲った悲劇
【特集】2018ワールドカップ
2018ワールドカップの日程
同国南部の人口20万人ほどの街シャペコも、つい1年半ほど前まで、そんなありふれた町の一つだった。
ここを拠点とするサッカークラブ「シャペコエンセ」の選手やスタッフ、同行記者ら77人を乗せたチャーター機が2016年11月28日、南米コロンビア山中に墜落、71人が亡くなった。ブラジル中が悲しみに包まれた事故から1年半。復活を果たしたチームや生存者、悲しみを乗り越えた遺族らの姿は、ブラジル社会に勇気を与えている。
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機内の最後の記憶は、静寂だった。
「突然、エンジンが止まった。そして、静かになった」。事故を生き残った選手2人はそう語った。
「その後の記憶がない。本当の恐怖に直面すると、脳のスイッチがオフになるのだろう」。GKだったジャクソン・フォルマンさん(26)が次に覚えているのは、墜落後に救助された瞬間だ。「寒くて、雨が降っていた。近くにいた救急隊員に頼んで、水をもらったことは覚えている」
再び気を失った。目覚めると病院だった。しばらく意識ももうろうとし、寝たきりの日々が続いた。起きられるようになって、はじめて事故を知った。多くの仲間が死んだことも、そして、自分の右足が切断されていることも……。
「足を失うより、死んだ方がましだ」
それが最初の言葉だった。当時、選手としての成長を実感していた。「覚めることがない悪夢を見続けているようだった」
大量に出血し、全身13カ所の骨が折れていた。脊髄(せきずい)近くもけがをして、半身不随になる可能性もあった。家族や周囲の支えを受ける中で、次第に考えが変わり始めた。「生き残ったこと自体が、神の奇跡だと」
義足を着け、リハビリに励んだ。日常生活を送れるようになった。今は、食事をすることや、トイレに行くことさえ大事なことだと思える。そして、シャペコエンセというクラブの大切さも身をもって知った。
「あのとき、事故などなく、南米杯に出場し、優勝したかった。自分の命と引き換えに、クラブを昔の姿に戻せるならそうしたい」
仲の良かった選手たちはもういない。生き残った自分が、彼らの代表として生きると決めた。そのことに大きな責任を感じている。
スタジアムに入ると、亡くなった仲間たちを必ず思い出す。そこでは、ファンやたくさんの人から優しい言葉をかけてもらえる。「みんなの優しさが生存者や遺族の回復につながっている。そして、ぼくたちの回復が多くの人に勇気を与えられると信じている」
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MFのアラン・ルシェウ選手(28)は「今の人生は、2度目の夢を実現することだ」という。事故から10カ月後、選手として復活した。
「傷ついた魂はまだ痛い。亡くなった人たちを懐かしいと思う気持ちは永遠に消えないだろう」。だが、そんな思いと葛藤しながら、生き残った「使命」があると考えるようになった。「みんなが亡くなった時、一番愛していたのはサッカーをすることだった。私がサッカーをもう一度やることは、犠牲者たちのためなんだ」
スタジアムに足を踏み入れる時は、必ず神に感謝し、誓う。「亡くなった仲間をたたえるためにがんばります」と。