足立新田の有馬信夫監督(右)=2018年5月15日午後4時41分、東京都足立区、阿部健祐撮影
目標が見えず、途中で立ち止まりそうでも、仲間がいたからこそ、重い扉をこじ開けられた。1999年、都立勢として、19年ぶりに城東を甲子園に導いた有馬信夫(56)が大切にしたのは、監督自身が「孤独にならないこと」だった。
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90年代初めに城東の監督になった有馬には当初、私立勢に勝てるイメージはなかった。93年夏の準々決勝で関東一に0―13で敗れ、96年夏の5回戦では修徳に4―5で競り負けた。都立勢で夏の甲子園に出場したのは、80年の国立(西東京)以来なかった。
甲子園への希望を失いかけるたび、同じ仲間と酒を酌み交わした。現在、小山台で指導する福嶋正信(62)も、同じ私立の壁に屈していた一人。2人は高校野球研究会に所属していた。福嶋ら都立の有志が85年に発足させ、のちに有馬が加わった。研究や指導を続けると、次第に私立勢との戦い方が見えてきた。
有馬は「監督は孤独です。孤独になれば、体が重くなり、歩みが止まってしまう。僕は仲間がいて、目指すゴールが分かった。後はそこに向けて、少しずつでも進んでいくだけだった」と力説する。
まず、試合前半をロースコアで乗り切り、後半勝負に持ち込むこと。さらに相手の本格派投手に球数を多く投げさせれば、ベストだ。戦い方、そして勝ち方が見えてくると、夢に思えた甲子園への道筋が見えてきた。
チームに最も必要なのは、相手に球数を投げさせられる打者。打線のつながりから、2、6、9番に置いて、1、3番は初球から振る打者、長打力のある打者は4、7番に据えてストライク3球を強振させた。140キロを投げられる投手がいなければ、小さな変化球を使わせた。
有馬が考えるチーム作りは、現戦力をうまく使いこなすのではなく、理想のチームに粘り強い指導で選手を近づけていくこと。「練習試合を通して、選手の能力を高めていく。これには根気が必要です」と語る。
99年夏の東東京大会。城東はエース池村隆広の力投と打線のつながりで勝ち進んだ。準決勝では早稲田実を8―7で振り切り、決勝は駒大高に3―0で勝利した。夢の舞台の初戦では智弁和歌山に2―5で敗れたが、「この年は選手も私も勝ち方がわかった理想のチームでした」。
都立勢は、有馬が99年に城東を甲子園に連れて行った後も、そのあとをついだ梨本浩司(54)=現文京・監督=が2001年に夏の甲子園に導いた。03年夏には雪谷が東東京大会を制したほか、14年の選抜大会では小山台が21世紀枠で出場した。
ここ30年で、高校野球は全ての面で発展し、都立にも波及したと語る。「マシンが使えるようになり、攻撃では強豪私学が一目置く都立のチームがでてきた」「ただ、昔は都立が弱かったわけでなく、私立が強かった。時代と共に全体が平均化している」
有馬は4月から足立新田の監督になり、「時間もかければ甲子園も無理じゃない」と意気込む。その一方で心配するのは、他の多くの高校で部活動に集中できる環境がなくなっていることだ。「今までどの学校も部活を支援してきたが、勉強にシフトする学校が多くなり、最初から甲子園を目指すこともできなくなっている」=敬称略(阿部健祐)
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ありま・のぶお 1961年、東京都調布市生まれ。高校時代は調布北の遊撃手で主将。日体大卒業後、鮫洲工で定時制の軟式野球部に携わり、その後、城東や保谷、総合工科で硬式野球部監督として指導した。4月から足立新田監督。保健体育科教諭。