「この世界の片隅に」支えた鉛筆画集 43枚の消えた町——贯通日本资讯频道
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「この世界の片隅に」支えた鉛筆画集 43枚の消えた町

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森冨茂雄さんが1995年に描いた元安橋西詰め周辺。一番大きな建物が、現在も被爆建物として残っている広島市レストハウス(改修中)=「消えた町 記憶をたどり」から


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広島の爆心直下に住んでいた男性が、原爆で失われたかつての街並みを描いた鉛筆画集が4月、7年ぶりに復刊し、発行元に全国から問い合わせが相次いでいる。国内外でヒットしたアニメ映画「この世界の片隅に」の制作で参考にされたことで知られ、復刊を求める声が広がっていた。


すずが見た広島、街は今 爆心地「ここに生活があった」


「この世界の片隅に」舞台を巡る


「元安川と陳列館(現在の原爆ドーム)の間の道路をバスが通りよった」


「虎屋旅館の前に下りてくる階段は横町の有田ドラッグの所から続いていて」


画集「消えた町 記憶をたどり」は、広島市の森冨茂雄さん(88)の43枚の鉛筆画を、証言を記した文章とともに収めている。看板が並ぶ商店街、民家がひしめく川べりなどを、記憶をもとに描いた。屋根瓦、土手の石垣、橋脚のれんがなども細かく表現している。


森冨さんは山口県生まれ。1936年、父が広島市中心部の寝具店を買い取り、近くの家に家族で移り住んだ。爆心地となった島病院(現・島内科医院)のそばだ。15歳だった原爆投下の日、爆心地から2・5キロ先の学徒動員先で被爆。自宅に向かって歩いていくと、街は変わり果てていた。父と祖母、弟2人と同居のいとこが犠牲になった。母は3年前に病死しており、復員した4歳上の兄と2人残された。


当時の街の記憶を描くことにし…



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