「日本のゴーギャン」不遇の生涯 生誕110年の回顧展——贯通日本资讯频道
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「日本のゴーギャン」不遇の生涯 生誕110年の回顧展

神童と呼ばれながらも、画壇で認められず、50歳で単身奄美へ。独自の画業を追究し、無名のまま世を去った孤高の画家――。南へ向かった姿から「日本のゴーギャン」とも称される田中一村(いっそん、1908~77)の回顧展が、滋賀県守山市の佐川美術館で開かれている。美術館の開館20周年と、一村の生誕110年に合わせた特別企画展だ。


7歳で「菊図」


死後に地元紙やテレビで特集され、名を知られるようになった一村。不遇の生涯への共感も相まって、今なお高い人気を誇る。今展では、幼少期から最晩年まで約180点を集め、画業の全容を紹介している。


7歳で描いた「菊図」の完成度の高さからは、その神童ぶりがよくわかる。父の手ほどきで、中国の絵画に由来する南画(なんが)に幼少期から取り組んだ。紙が一部切り取られているのは、父が絵に手を入れたのが気にくわなかったからといい、絵へのプライドが垣間見える逸話だ。


26年に東京美術学校(現東京芸大)に入学するも、2カ月で退学。その後は特定の師を持たず、独学で絵の道を進んだ。


落選続き…奄美へ


新しい画風を模索した一村は、30歳のときに千葉に移り住むと、身近な風景や動植物を丹念に写生した。鮮やかな紅葉の中にトラツグミがたたずむ「秋色虎鶫(しゅうしょくとらつぐみ)」など、後の奄美時代の作品に通じる表現も見られる。


画壇デビューは47年、39歳のとき。この時期には、琳派を意識した作品も多く、48年の「秋晴(あきばれ)」は、「琳派のような作品を」と依頼され、金屏風に農家の庭先を描いた。50年前後の「四季草花図」(旧襖〈ふすま〉)は、ケシやヒマワリといった季節の花々を配し、装飾性豊かな画面に仕上げている。しかし画壇への挑戦は落選続きで、一村は奄美への移住を決意する。


「閻魔(えんま)大王への土産品」


奄美で描かれた「アダンの海辺」(19日まで展示)は、一村芸術の集大成と言える作品だ。「不喰芋(くわずいも)と蘇鐵(そてつ)」と並び、「閻魔大王への土産品」と称して本人が生涯手放さなかった作品で、南国の植物アダンを手前に配し、波や砂礫(されき)を細密な描写で描き込んでいる。


井上英明学芸員は「奄美の印象が先に立ちがちだが、模索を続けた積み重ねによって、後年の絵が生まれてきたことがわかる」と話す。


9月17日まで。8月13日と最終日を除く月曜休館。一般千円。一部展示替えあり。佐川美術館(077・585・7800)。(松本紗知)


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