日仏を舞台に活躍し、「素晴らしき乳白色」の肌をもった裸婦像などで知られる画家、藤田嗣治(1886~1968)の史上最大級の回顧展が31日から、東京都美術館で始まる。
東京美術学校で学んでいた時代の初期作から、裸婦像やパリの街角を描いた絵、中南米やアジアの群像を活写した作品、戦時中に手がけた作戦記録画、さらには戦後に手がけた宗教画や子どもの絵まで。激動の時代に数奇な人生を送り、最後はフランス国籍を得た画家の全容を真正面からとらえた展示になっている。
その藤田は自作に「猫」を多く登場させたことでも知られる。今回も、約120点の展示作のうち絵画では十数点に猫が登場する。
『藤田嗣治画文集「猫の本」』(講談社)によると、藤田はパリの街角でまとわりつく猫をふびんに思い、次々に連れて帰ったという。「捨て猫でも泥棒猫でも」と。「ひどく温柔(おとなしや)かな一面、あべこべに猛々(たけだけ)しいところ」あるいは「野獣性と家畜性」といった二面性にひかれていた。
たけだけしさや野獣性が前面に出ているのが、今展の注目作の一つでもある「争闘(猫)」(1940年)だろう。14匹の猫が、渦を巻くように宙に舞い、争っている。繊細な描写と大胆な構図が共存し、第2次世界大戦勃発後の世情と自身の心境を猫の闘争本能で暗示したともいえる。
「アッツ島玉砕」など、壮絶な光景を描いた作戦記録画の登場を予言するかのような表現でもある。
藤田は、「始終画室のなかに入れて置いたので、時には自画像の側に描いてみたり、或(ある)いは裸体画の横にサインみたいにこの猫を描いたりした」と記している。
今展にも、おかっぱ頭に丸メガネというおなじみに自画像が出品されているが、29年作の「自画像」では藤田特有の繊細な線をひくためともみられる細い筆を持つ腕に絡まりつく猫が描かれ、36年の「自画像」では和服の胸元から猫が顔をのぞかせている。
代表作の「五人の裸婦」(23年)と、「タピスリーの裸婦」(同)には、おそらく同じトラ猫が登場。藤田によって仕上げられた乳白色の女性と張り合うように存在感を示している。確かに、サイン同様、猫がいれば藤田の絵と思わせる力がある。
米国から初来日する「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」(22年)にも、黒猫が鎮座している。
戦後初めて発表された裸婦像とされる「私の夢」(47年)では、猫は犬やウサギとともに服をまとって擬人化され、まさに「夢の世界」を演出。戦争を経た後の、藤田の願望を映し出しているともいわれている。
同じく戦後に描かれた「猫を抱く少女」(49年)でも少女のひざの上に猫がいる。
ねこ、ネコ、猫。「私は猫を友達としている」と記した藤田。大回顧展を、その友達に着目して、楽しむこともできる。
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「没後50年 藤田嗣治展」は10月8日まで、東京・上野の東京都美術館。月曜と9月18日、25日は休み(8月13日、9月17日、24日、10月1日、8日は開室)。
東京芸術大・陳列館でも8月15日まで、「1940’s フジタ・トリビュート」展。小沢剛、米田知子、村田真ら現代作家が藤田の1940年代を再解釈した作品を展示。月曜休館。(編集委員・大西若人)