(25日、高校野球佐賀大会決勝 佐賀商5―2唐津商)
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10年ぶりの甲子園を決めた佐賀商の森田剛史監督(46)が、優勝インタビューで涙を浮かべた。「悔しい思いをしてきたので……。うれしいです」
1994年に全国制覇を果たし、昨年までで佐賀勢では最多の15回の夏の甲子園出場を誇っていた古豪だが、このところ、佐賀大会で優勝できていなかった苦悩が、言葉に詰まっていた。
森田監督は佐賀商出身。二塁手や投手として春夏計3度、甲子園の土を踏んだ。その時、同学年のチームメートだったのが、駒大苫小牧を2度の全国制覇に導いた香田誉士史・現西部ガス監督(47)だ。
当時の監督だった田中公士さんが当時を振り返る。「香田は泥臭く執念深い。森田はどちらかというとスマートに野球をやるタイプだった」
森田監督は母校の監督に就任して1年目の2008年に甲子園出場を果たす。目指したのは、「王道」の打ち勝つ野球だった。
その後、いったん甲子園出場経験のない神埼清明に転勤となった後、13年から再び佐賀商に戻って監督に復帰した。しかし、チームは勝てなくなっていた。「沈んだ潜水艦のようだった」。16年の佐賀大会決勝では、この日と同じ唐津商を相手に16点を取られ大敗を喫した。「私の力不足とか、色々悩んだ」
そして出した答えは、香田監督ばりの、泥臭い野球だった。この日の決勝では、打者全員がバントの構えから打つバスター打法に徹した。ゴロを打ち、相手のミスを誘う狙いだった。
「なんでバスターさせるんだという批判もだいぶ受けた。でも、佐賀大会を勝つために形はどうあれ、とにかくバットに当てて出塁しなくてはいけなかった」
そうやってつかんだ、10年ぶりの甲子園。
「初戦敗退も覚悟したが、勝つごとにチームに一体感が出て、選手たちはたくましかった。感動しました」と森田監督。次は甲子園で、21年ぶりの夏1勝を目指す。(甲斐弘史)