「前略、僕は日本のどこかにいます。」「ああ、ここだ、と思う駅がきっとある。」――。JRグループ「青春18きっぷ」の宣伝ポスターが、今夏もお目見えした。人はなぜ旅に出るのか。四半世紀余りにわたって80枚以上のポスターをつくってきた込山富秀さんは、今も考え続けている。
18きっぷはJR全線の普通・快速列車が乗り放題になるJRの名物切符だ。毎年、春、夏、冬に売り出され、各シーズンには宣伝ポスターが駅などに貼り出される。歴代のポスター画像を集めたファンサイトがネット上にできたり、展覧会が各地で開かれたりするほどの人気ぶりだ。
大手広告会社に勤める込山さんが、18きっぷポスターの仕事を初めて受けたのは1990年。それまでもJRの広告を担当していたが、いわゆる「鉄ちゃん」ではない。列車や車両が図柄のほとんどを占めるようなマニア向けのポスターにはしたくなかった。
ではどうするか。
旅情は「人」に宿る
長い髪をお下げにし、白いセーターを着た若い女性がホームにたたずむ。正面を向いて、穏やかな表情を浮かべている。
「線路の先にある町。」
青森・大鰐(現・大鰐温泉)駅を舞台にこんなコピーを付けた90年冬版は、銀行への就職を控えた地元の高校生をモデルにポートレート風に仕上げた。
「都会とは違う言葉を話し、見たことがない表情をする。そんな人たちに出会ったとき、僕らは旅情というものを感じるんじゃないか、って」
「人」や「表情」で旅情を表現したい。そんなコンセプトで走り出した企画は加速していく。
91年夏版では、写真家の「アラーキー」こと荒木経惟さんを制作チームに迎え、旅をする女性モデルのつやのある表情を前面に出した。モデルの持つ「情感」で旅情を表現することを狙った。
94年冬版は、5人の女子が旅先の旅館の布団の上ではしゃぐ絵柄だ。コピーは「おしゃべりはつづくよ どこまでも。」。列車も駅も線路も登場しない18きっぷポスター史上でも異例の一枚。仲良しグループの旅先でのわくわく感が伝わってくる。
「本格路線」に転換
「人」に着目した初期路線。そこから今に続く風景に主眼を置くデザインに転換したのが97年夏版だ。オホーツク海をのぞむ北海道の大地に、釧網線の単線が一直線に伸びる。「どこまで行ってもいいんですか。」。簡潔なコピーもはまった。
構図の主役は線路だが、「旅は人がするもの」という初期からの思いは同じ。線路脇に小道のある場所を見つけ、旅人のモデルを立たせた。舗装されていない小道は地元の漁師が浜に出るためのもので、地図にも載っていなかった。「グーグルマップもない時代。ロケ地探しには苦労しました」
季節感にも手間をかけた。ポスターは18きっぷの各利用シーズンにあわせて掲げるため、撮影はそれよりも早い時期に終える。実際とは違う季節感を出す工夫が必要になることもあった。
99年春版の大分での撮影は冬だった。春らしさを出そうと、菜の花のつぼみを大量に調達。暖房をきかせた部屋に置き、開花した分を線路脇に据えた。「学校を卒業すると、春は黙って行ってしまうようになる。」。春の切なさをうたったコピーもさえた。
元祖「インスタ映え」
線路編は2年6回にわたって続いた。線路は旅路。ならば、駅は旅への入り口であり出口だ。そんなことを考えていたら、旅の出口に着いた旅人が最初に目にする景色をポスターにしたくなった。
制作チームが3班に分かれて北海道じゅうを探し回った。摩周湖近くで見つけた川湯温泉駅を、99年夏版の舞台にした。改札口の陰影と、その先にあふれる北海道の光との対比が鮮やかに目に飛び込む。改札口には切符にはさみを入れる駅員が立った「ラッチ」が残り、郷愁を誘う。
「仕事帰りの会社員がターミナル駅で見て、つい長距離列車に飛び乗ってしまうようなポスターをめざした」という。
瀬戸内海が眼前に迫る愛媛県の下灘駅を扱った2000年冬版では、水平線をバックに駅のベンチに足を投げ出す旅人を撮った。高校時代、地元の甲府駅のベンチに横たわり、南アルプスに向かう早朝バスを待つ登山家の姿に、旅情を感じた。そんな遠い記憶に着想を得た。
下灘駅はこの回も含めてポスターに3度登場。一躍有名になった。「インスタ映え」する無人駅として、今や全国からファンが集まる。NHKのドキュメンタリーでも取り上げられた。
列車に「距離」を思う
列車の姿をポスターに本格的に登場させるようになったのは、制作を始めて約10年がたってから。「旅情は距離がつくる」。そんな思いを持つようになっていた。
この列車は、どれだけの距離を旅してきたのだろう。ポスターを見た人に、そんな風に思いをめぐらしてもらえたら。列車を構図に入れる動機の一つだ。
わかりやすい例が長野県を舞台にした09年春版だ。飯田線の列車が、新緑の天竜峡を進んでいく。ポスターの左上。もやがかかってかすむ先に、飯田の街が小さく見える場所を選んだ。
「遠い街からここまで、はるばる旅人を乗せてやってきた」。そんな雰囲気を醸し出した。「距離のダイナミズムを感じさせる情報は、なるべく画面に入れるようにしています」
いつもより車両を大きく入れたのが11年夏版。高知県の四万十川を渡る予土線を撮った。ドアの部分が透けて見える開放感が涼しげで、大きめに写した。
沈下橋が架かる川の水面と水辺の木陰も、涼感を演出した。「家の冷房を消して、涼しい日本へ旅にでた。」。東日本大震災と福島第一原発の事故があり、節電の必要性がとりわけ強調された年だ。
新たな表現を求めて
デジタルカメラは、全てを鮮明に、きちょうめんに映し出す。自然な「ぼけ」や透明感を大切にしたくて使ってこなかった。だが、機材の発達で、デジカメでも「柔らかい表現」ができるめどが立ったのが13年冬版だった。
デジカメの強みは、光の絶対量が少ない夜でも、しっかりとした写真が撮れること。列車のライトと駅舎の電灯だけを頼りに、大雪に包まれた富山県の城端駅を撮った。それまでうまくいかなかった夜間の写真を初めて採用した。
今夏の18年版は、夕闇に包まれた中央線を切り取った。名古屋郊外にある定光寺駅の駅舎や列車が発する明かりに着目した。「デジカメがなかったころには考えられなかった企画」。肉眼で見た風景の手触りをめざした。
早く着くことよりも
観光地や有名な撮影ポイントはできるだけ避けてきた。どこにでもありそうな風景を、「どこにもないように」切り取り、見た人の旅情をかき立てる。そんな表現をめざしてきた。
新幹線が各地にのび、鉄道の高速化に拍車がかかる時代。だからこそローカル線にゆっくりと揺られる時間の価値が際立つ、と感じる。
「効率とは無縁の旅もいいものだな、と思ってくれる人が一人でも増えてほしい。その一心です」
胸にいつもあるのは、十数年前のポスターに付けたこんなコピーだ。「『早く着くこと』よりも大切にしたいことがある人に。」
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込山富秀氏(こみやま・とみひで)甲府市生まれ。東京芸大の美術学部を卒業し、電通に入社。JRの広告を多く手がけ、JR東日本のICカード「Suica」のロゴやカードのアートディレクションも担当した。ADC賞受賞。15年には、手がけた18きっぷのポスター写真集「『青春18きっぷ』ポスター紀行」(講談社)を出版した。
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青春18きっぷ 全国のJR線の普通・快速列車の普通車自由席とBRT(バス高速輸送システム)、広島県の宮島フェリーが1日乗り放題になる。1枚で5回分または5人分使え、価格は1万1850円。今夏の販売は今月31日までで、9月10日まで使える。(榊原謙)