平成と天皇 外国訪問
「言論の自由は民主主義社会の原則であります」。1992年10月15日。中国訪問の出発を8日後に控えた記者会見で、天皇陛下はこう述べた。日本国内の保守派などから訪中に反対する声が出ていたことについての質問に答えた。
「中国訪問に関しては種々の意見がありますが、政府はそのようなことも踏まえて真剣に検討し、決定したと思います。私の立場は、政府の決定に従って、その中で最善を尽くすことだと思います」
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言葉の端々から、中国訪問の実現が難しかった背景事情がにじむ。
当時、自民党内の保守派には「天皇の政治利用だ」と反対する意見が強かった。彼らを説得するため、橋本恕(ひろし)・駐中国大使(当時)は何度も帰国し、有力政治家らを回った。訪中を実現させたい宮沢喜一首相(同)の命を受けてのことだった。92年夏に外務省アジア局長に就任した池田維(ただし)さん(79)も「何としても成功させなければ」との強い思いで奔走。自宅周辺を警察官が24時間警備する態勢が1カ月続いた。侍従だった手塚英臣さん(84)の自宅には、夜に何度か脅迫電話がかかってきた。
一方、中国は天皇訪中を熱心に…