平成と天皇 外国訪問
戦後50年前後の天皇、皇后両陛下の訪欧をめぐる日英政府の調整の一端が、英政府が公開した外交文書で明らかになった。戦争中の英国人捕虜の問題への対処に気を使う日英両国の思惑も浮かび上がる。
英公文書館は今年7月24日、メージャー保守党政権時代の1993年までの外交文書の秘密指定を解除し、公開した。両陛下の英国訪問は98年5月に実現したが、日英両国はこれに先立つ93~94年の訪英をめざし、水面下で日程についてやり取りが続いていたことがわかる。
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文書によると、メージャー首相(当時)が93年9月に訪日して細川護熙首相(同)と会談した際、両陛下の訪英日程とあわせて、第2次世界大戦中に日本軍により強制労働に動員された英国人元捕虜の問題が議論になった。 細川氏は首脳会談で「日本により苦しみを味わったすべての英国人に、繰り返し深い反省とおわびの念を表明したい」と謝罪。メージャー氏は謝意を伝え「問題は重要だが、調子(キー)を低く抑えたい。拡声機(メガホン)を使わず、非公式協議で解決を探りたい。この件は強い感情を呼び起こしたが、燃え上がらせるべきではない」と答えたとされる。
細川氏は自民党から政権交代して8月に首相に就任し、所信表明演説で日本の「侵略行為や植民地支配」を認め、「深い反省とおわび」の意を表し注目されていた。一方英国では当時、戦後50年を前に、元捕虜らが日本に謝罪や補償を求める動きが活発化していた。
英国訪問の実現は簡単ではなかった。93年9月8日付で英外相秘書が英首相秘書にあてた書簡によると、93年秋、両陛下訪欧の際に英国も模索したが、日英両国の日程が合わず、翌94年の訪英を検討。
日本側が10月10~12日を打診したのに対し、英国側はバッキンガム宮殿が一般公開の直後で準備が間に合わないうえ、エリザベス女王の休暇予定のため難しいとして、10月後半か11月を提案した。日本側は、その日程では無理なので94年の訪問先はフランスの方向で検討を始めたと答えた。同年10月、両陛下はフランスやスペインを訪問している。
外相秘書は「天皇の訪問先に英国が含まれないのは残念だ。日英は欧州の他国よりも確実によい関係にあるのに、誤った合図を送ることになろう。日程は早くとも96年以降になる」と落胆した様子を伝えている。
1998年5月26日昼過ぎ、ロンドン中心部の大通り「ザ・マル」。英国を公式訪問した天皇、皇后両陛下は、エリザベス英女王夫妻と馬車でバッキンガム宮殿までパレードした。
天皇皇后両陛下の訪欧実現に向け、調整に奔走した元外交官ら。記事の後半では、彼らがその舞台裏を振り返ります。
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