プロ野球のドラフト会議で、中日から1位指名を受けた大阪桐蔭高の根尾昂(あきら)選手。甲子園で春夏連覇を果たし、同校最強と言われた世代の中心選手だが、中学時代も「最強世代」だった。岐阜県高山市の小さな野球チームでは、その全力プレーに刺激された仲間たちが共に大きく飛躍していた。
今月7日、高山市内のグラウンド。試合後に整列して記念撮影に応じる高校3年生を、後輩たちが羨望(せんぼう)のまなざしで見つめた。
星稜高(石川)、山梨学院高、県岐阜商高……。根尾選手は都合で欠席だったが、甲子園常連校や強豪校のユニホームを着た選手たちは、みな誇らしげに写真に納まった。地元の少年野球チーム「飛驒高山ボーイズ」のOB戦。2011年にできた中学生の硬式野球チームだ。
今年の試合は注目を集めた。チームを巣立って久しぶりに顔を見せた高校3年生が、チーム創設以来の「最強世代」だったからだ。
甲子園の出場経験者は4人。今夏の100回記念選手権大会にも3人が出場した「最強世代」の主将で、投打の中心だったのが同県飛驒市出身の根尾選手だ。
「こんな子が、将来、プロ野球選手になるんだろうな」。チームの黒木博也ヘッドコーチ(38)は、初めて指導した時の印象を、今もはっきりと覚えている。
基本に忠実。絶対に手を抜かない。できるまで何度も繰り返す。どうすればうまくなるか常に考えている。「プレーを見ながら、指導者なのに、いつのまにかファンになっていた」
根尾選手らは、チームの3期生だ。まだ若いチームだったが、最上級生になると、めざましい活躍を見せた。リーグの県予選で準優勝。全国大会出場こそ逃したが、地域の大会で優勝も経験した。
「みんな根尾に吸い寄せられるように練習し、レベルを上げていった。根尾の意識の高さが切磋琢磨(せっさたくま)する環境を作っていた」。黒木さんは振り返る。
星稜高に進んだ田中秀明さんは、遠征帰りのバスでいつも寝ていた姿を思い出す。周囲が騒いでも起きることはなかった。「あいつは、いつも全力だった。自分が野球を続ける大きな支えだった」
同じ星稜高に進み、甲子園のマウンドにも立った佐藤海心さんは「弱点がなかった」と話す。全力疾走を繰り返す練習で、根尾選手は最初と最後のタイムが変わらなかった。「きつくなっても全力で走り、絶対にタイムを落とさなかった」
練習熱心で成績優秀、完璧だった根尾選手だが、なぜかじゃんけんだけは弱かった。先攻後攻を決める際、「また負けた」と戻ってくると、仲間たちは、ここぞとばかりにからかい、緊張をほぐした。弱点すらプラスに働く存在だった。
「いつも全力の根尾に追いつきたいと必死にがんばった」と、「最強世代」は口をそろえる。山梨学院高に進み、エースとして甲子園に出場した垣越建伸選手も同じだ。活躍を耳にするたび「もっとレベルを上げたい」と励みにした。今回のドラフトで根尾選手と同じ中日から5位指名を受けた。
「昂と一緒に野球ができたから成長できた。やっと背中が見えてきた」(山下周平)