雪国ではない東京出身のスキージャンパーが2日、46歳の葛西紀明(土屋ホーム)や伊東大貴(雪印メグミルク)ら4人の平昌(ぴょんちゃん)五輪代表をおさえて国内大会を制した。社会人4年目の内藤智文(ともふみ)(茨城・古河市協会)。今季序盤のワールドカップ(W杯)代表は逃したものの、異色の25歳はすきあらばと「下克上」を狙う。
札幌・大倉山ジャンプ競技場であった札幌市長杯サマー大会。内藤は2回目に142メートルの大ジャンプを披露し、1回目5位から逆転で初優勝をつかんだ。「このメンバーのなかで優勝できたのでうれしい」。エリートではない、たたき上げの意地がにじんだ。
父親が都内に「ジャンプ少年団」
ジャンプと出会ったのは、4歳のときの1998年長野冬季五輪だった。日本が金メダルに輝いたジャンプ男子団体を家族で応援し、原田雅彦(現雪印メグミルク監督)や船木和喜(現フィット)らが抱き合った会場にいた。
感銘を受けたのが父の茂さん(60)。その年の夏も競技会に家族で観戦に行き、冬には競技にあこがれた内藤の兄とともにジャンプが盛んな北海道下川町の体験会に参加した。東京からでも大会に出よう――。息子たちのために、東京都調布市に「調布ジャンプ少年団」をつくったのだ。
東京に雪はなく、ジャンプ場もない。スキー場に小さなジャンプ台を勝手につくれば怒られる。小学校教員だった茂さんは休日のたびに練習環境を求め、長野や新潟などへ、車を数百キロ走らせた。冬休みには北海道へ武者修行。スポ根漫画「巨人の星」の星飛雄馬と一徹親子ではないが、茂さんが「休みは全部つぶした」と振り返るほどだ。
東京で珍しいジャンプ一家はいつしか、世間に知れ渡る。ウィンタースポーツに詳しい作家の東野圭吾さんからインタビューを受け、エッセー「夢はトリノをかけめぐる」(光文社)にも取りあげられた。
内藤は、伊東らが輩出した北海道・下川商高にジャンプ留学し、東海大へ進んだ。
卒業前、競技を続けるかで悩んだ時がある。社会人でやれる力はないが、ジャンプはやめたくない――。マイナー競技である男子ジャンプを支援する企業は数えるほど。卒業時に競技をあきらめる選手は多い。内藤は大学院に合格し、ジャンプの動作解析を専攻する選択肢も残していた。
金属加工会社で働きながら競技
そんなとき、救いの手が伸びた。2019年国体を開催するため選手強化に力を入れていた茨城県だ。昨年までは県内の金属加工会社で働きながら、競技を続けた。国内戦で3連勝を飾るなどして念願のW杯デビューも果たした。歯が立たなかったものの、今年2月の平昌五輪でテストジャンパーに選ばれ、世界との差が縮まっているのではと実感したという。「初めて五輪をめざそう、と」
全日本の強化指定に入れていない。どん底からはい上がるハングリー精神を力にしてきた。今季からフルタイムで競技に専念。茨城から車を数百キロ運転して練習する。その厳しい環境はジャンプにあこがれだした少年時代と変わらない。「もう一度、W杯で戦いたい」。1月19、20日に札幌であるW杯の下部大会で好成績を収め、1月26、27日のW杯札幌大会への出場枠を勝ち取ることが当面の目標になる。(笠井正基)