フリースタイルスキー・エアリアル界の“レジェンド”が新たなシーズンに挑もうとしている。日本代表の田原直哉(ミルキーウェイ)、37歳。今年2月の平昌(ピョンチャン)五輪は予選で敗退し、19位だった。それでも、「やり残したことがある」とベテランは力強い。
初めて挑んだ五輪の記憶は、苦いものになった。挑んだ技は伸身後方3回宙返り4回ひねり。ただ、1本目は思うように点数が伸びず、17位に沈んだ。勝負をかけた2本目は踏み切りに失敗し、雪面に背中から落下。決勝には届かなかった。
8歳で始めた体操で、20歳の時にナショナルチーム入り。だが、2004年アテネ五輪の代表を逃すと、右肩を故障し、06年に引退した。失意の中で出会ったのがエアリアルだった。かなわなかった「五輪」の夢を雪上に見つけ、遠征費や用具代のために生活費を切り詰め、家財を売り払った。人生と生活の全てをかけ、ようやくたどり着いた夢の五輪だった。
だが、帰国後、満足していない自分に気づいた。「やっぱり、出るだけではダメ」
厳しい競技環境は、「オリンピアン」の肩書を得ても「全く変わっていない」という。それでも、「もっと(五輪で)戦いたかったという気持ちが大きくて……。『もうちょっと、ああしておけばよかった』って。もっとやれたことがあった」。現役続行の決断に時間はいらなかった。
今季は「弱点と向き合える年」という位置づけだ。目下の課題は、テイクオフ。これまでは着地の確実性を確保するために、スピードや踏み切り姿勢で守りに入っていた部分があったという。だが、それで五輪は戦えなかった。「次のステップとして、もうちょっと(攻めて)やろうかなと思います」
今季は、日本代表コーチを兼ね、後輩の育成にも力を割いている。「日本のエアリアルは競技人口が少ない。次の世代を育てるために、(自分の経験を)つなげていけたら」。ただ、あくまで選手活動が優先だ。「基本に立ち返るという意味では、人に教えることで気づくこともある」
当面の目標は、来年2月に米ユタ州で開催される世界選手権だ。一方で、22年の北京五輪を見据えていないわけではない。体力的な衰えについて、「感じていないわけじゃない。でも、戦える体作りができる環境があるなら目指したい」。4年後は、41歳。「そろそろ、まともに食っていける生活をしないとまずいな、とも思うんですけどね」
今季のW杯開幕戦は、来年1月。夢は続く。(吉永岳央)