かつて被災した自治体職員が災害現場で、あのときの経験をいかそうと奔走している。北海道地震や西日本豪雨の被災自治体に駆けつけた仙台市職員のケースから、「助けを受ける計画(受援計画)」の策定が不十分な実情も浮き彫りになっている。
北海道地震から5日後の9月11日、佐藤和代さん(55)ら仙台市の保健師と職員の計3人は厚生労働省の要請を受け、北海道安平町の追分公民館に入った。東日本大震災で避難所運営に携わった経験を役立てられないか、被災者や被災自治体の支援を始めた。
避難生活を送る約100人の中には介護が必要な高齢者もおり、まず衛生面が気になった。土足で入れる床の上で暮らしていたからだ。一人ひとりに説明し、12日から土足を禁止した。またエコノミークラス症候群に注意を呼びかけながら、健康状態も記載した名簿を作り、継続的にケアできるよう態勢を整えた。
町の保健師は日に何度か避難所に様子を見に来た。佐藤さんも3月11日から5月の連休過ぎまで、休みを取った記憶がない。「他の自治体から応援をもらっているのに休むわけにはいかないと考えていた」。ただ今は、「応援職員に任せてほしい。経験しないと私もわからなかった」と話す。
仙台市の保健師チームは西日本豪雨でも被災自治体の支援に入った。
「午前3時ごろか、同じ時間に同じ夢を見る。生き埋めになる。PTSD(心的外傷後ストレス障害)言うんかね」。8月4日、広島県海田町の避難所に身を寄せる男性(76)が、土砂に埋まった自宅から九死に一生を得ながらも悪夢に悩まされ続ける日々を打ち明けた。聞き取っていたのは、仙台市の保健師、相原幸さん(46)と沢田紗由里さん(29)。この日は2カ所の避難所と、被害が大きかった地区の58世帯を戸別訪問した。町健康推進係長の寺本七美さん(49)は「私たちは門前払いでも、仙台市職員には心を開く方がいる」と感謝する。
東日本大震災をきっかけに交流を深めた岡山県総社市にも足を運んだ。
目にしたのは、他の自治体から…