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中曽根康弘首相の後継は誰に――。1980年代、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の3氏がニューリーダーと呼ばれて「ポスト中曽根」でしのぎを削る中、米国や霞が関の官僚も行方を注目していた。19日公開の外交文書から浮かび上がった。
1986年の「バイ・アメリカン」 今に続く圧力の源流
空母「海軍軍人としては欲しいが…」旧軍出身の統幕議長
【特集】外交文書公開
炉端で会談する中曽根康弘首相(右から2番目)と、ニューリーダー。左から宮沢喜一蔵相、竹下登自民党幹事長、安倍晋太郎自民党総務会長=1987年10月、東京都
87年3月19日。「差し出がましいが、一言申し上げる」。こう切り出したのは、中曽根首相と面会した外務省の柳谷謙介事務次官。公開された面会記録によると、首相訪米の調整で訪れた柳谷氏は「日本の政局について米国は大きな関心を持っている」と指摘。中曽根氏が「そうだろうね」と肯定すると、柳谷氏は「訪米の際、ニューリーダーの側近3人を連れて行かれることは米側から見ても好ましい」と言い、首相同行の提案をした。
ゴルフをする中曽根康弘首相(右端)。後列左から、宮沢喜一、竹下登、安倍晋太郎の「ニューリーダー」3氏=1987年8月、長野県
柳谷氏の発言は、ニューリーダー本人を指すのか、それぞれの側近議員を指すのか定かではないが、外務官僚が「中曽根後」をにらみ、対米外交を進めようとしたことがうかがえる場面だ。一方、中曽根氏は「考えておこう」とだけ答え、別の話題に切り替えていた。
前年86年の衆参ダブル選挙で大勝した中曽根氏は、自民党総裁の任期延長を手にしたが、87年10月に任期を迎えるため、後継選びのレースは激しさを増していた。夏には、竹下氏が田中派から独立するなど政局に。最後は、中曽根氏の後継指名により、第12代党総裁に竹下氏が就任し、11月に政権を発足させた。(菅原雄太)
1987年3月19日、外務省の柳谷謙介事務次官が中曽根康弘首相と面会した際の記録。「ニューリーダーの側近3人」と書かれている=東京・霞が関の外務省、西岡臣撮影