宿舎でテレビをつけると、金足農の映像ばかりが流れていた。
動画もニュースもたっぷり! 「バーチャル高校野球」
「味方だった球場がアウェーに」
「今まで味方だった球場が明日は逆になる。アウェーやなって」。大阪桐蔭の根尾昂は12月、夏の甲子園決勝前夜をそう振り返った。
第100回の節目を迎えた夏の高校野球。大会前、話題の中心は「大阪桐蔭の春夏連覇はなるか」だった。しかし、選手全員が地元出身の秋田の公立校が勝ち進むにつれ、甲子園の雰囲気は変わっていった。
高校野球は「私学全盛」の時代。全国から有望選手が集まり、「最強世代」と呼ばれた大阪桐蔭はその象徴的存在と言える。公立校の優勝は2007年の佐賀北が最後だ。
そんな中、前評判は決して高くなかった金足農が、横浜や日大三などの強豪私学を破り、しかも、秋田勢として103年ぶりの決勝に勝ち上がったのだ。
「エース吉田輝星君を中心とした公立の農業高校が、ドラマチックな勝ち方で強いチームをなぎ倒して、だんだん火がついた。次はどこを倒すんだと。それが100回大会の盛り上がりと絡みあったんでしょう」と、大阪桐蔭の西谷浩一監督。
連覇の重圧忘れ、心に火
いつの間にか奪われた「主役」の座。「金農、金農って、うるさいなあと思っていた」と、主将の中川卓也は正直に明かす。「野球でメシを食っていく」と志してきた選手が連覇の重圧を忘れ、かえって心に火がつく形になった。
吉田の力は誰もが認めていた。監督は選手に言った。「中川、藤原(恭大)、根尾の中軸には本気でくるから簡単に打てない。でも、必ずその反動がある。3人以外が打てば勝てる」
言葉通り。一回は1番宮崎仁斗、2番青地斗舞が好機を作り、中川と藤原は連続三振。根尾の四球後、6番石川瑞貴の2点二塁打などで3点を先制した。四回の3ランも宮崎が放った。
13―2の圧勝。「あの雰囲気の中で勝てたのはすごく良かった」と根尾。中日ドラフト1位の根尾、ロッテ1位の藤原ら大阪桐蔭からは4人がプロ入りする。「金農旋風」という熱狂と戦った決勝は、これからが勝負の野球人生において、思い出以上の財産となる。
「野球で生きる」覚悟が強さに
史上初となる2度目の春夏連覇。大阪桐蔭が達成した偉業の陰の立役者が、記録員の小谷優宇だ。
誰に指示されることもなく、金足農・吉田の投球を1回戦からチェックしていた。決勝での対戦が決まった頃には、「外角中心に攻めてくるのは分かっていた」。毎試合、目の前の対戦相手のデータ分析をしながら、である。
小谷は中学時代に140キロ超の直球を投げ、中学硬式野球の日本代表「NOMOジャパン」にも選ばれた右腕。入学後はひじのケガに苦しみ、最後の夏もメンバー入りできなかったが、腐らなかった。「上で野球を続けるので、分析も自分のためになる」
3年生は夏が終わった後も全員がほぼ毎日グラウンドで真剣に汗を流す。こんな学校はほとんどない。仲間同士の刺激、西谷監督ら指導陣の熱意で熟成される「野球で生きていく」というぶれない覚悟が、大阪桐蔭の強さの根底にある。(山口史朗)