米国と中国が国交正常化して1日で40年を迎えた。トランプ政権は通商紛争を皮切りに対中圧力を強め、両大国の対立は今年も世界を激しく揺さぶりそうだ。40年の歴史を刻み、経済などで分かちがたく結びついてきた両国はどこに向かうのか。米中関係の歩みを知る双方の識者に聞いた。
スーザン・シャーク米カリフォルニア大学サンディエゴ校21世紀中国センター会長
米国では中国をロシアと同様に戦略的競争相手ととらえ、大国同士が衝突する時期に入ったとの考えが強まっています。これは中国自身の振るまいがもたらした結果であり、トランプ政権でなかったとしても、同じことが起きたでしょう。
私は(国交正常化前の)1971年に初めて中国を訪れました。米国人はだれも共産中国を訪れていなかった時代です。65年に中国と中国語を学び始めたのですが、一生行けないかもしれない地域について研究するというのは自分で考えても奇妙な選択だったと思います。違う惑星について研究するようなものでした。
当時は香港で中国から逃れてくる難民から聞き取って、中国で何が起きているのかつかもうとしていました。5年後、10年後にでも中国が国を開いたときに行ければとグループで申請しておいたところ、(同年4月に)米国の卓球チームが訪中する「ピンポン外交」があり、突然、許可されたのです。
中国はまさに発展途上国で、非常に貧しかった。商業活動と言えるものは全くありませんでした。香港から陸路で入りましたが、違いは歴然としていました。特に夜は真っ暗。90年代初めに初めて北京から北朝鮮を訪れましたが、そのときと同じような感じを受けました。
私が訪中したのは、文化大革命が少し落ち着いた時期でした。紅衛兵が走り回っていると言うことはありませんでしたが、学校や大学ではまともな教育は行われておらず、労働や軍事訓練が行われていました。広東省、南京、上海、北京などに1カ月滞在しました。
私たちが中国を訪れているさなかにキッシンジャー国務長官が訪中し、ニクソン大統領の訪中が決まりました。私たちは周恩来首相とも会いましたが、「テープレコーダーを持ってきなさい」と言われました。私たちを通して関係正常化の狙いを伝えようとしたのでしょう。「中国人民は米国民と友人になりたい。そのためには政府を招く必要がある」といった説明で、大した内容ではありませんでしたが。
米中は互いに相手のことをソ連をにらんだカードと考えていました。ただ、それだけではなく、毛沢東は中国の変革を進めるには米国と関係改善の必要があると決断した。台湾から米国を切り離す狙いもありました。
米側ではキッシンジャー氏が立…