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漢(おとこ)がいた。そう語り継がれるノンフィクション作家がいる。本田靖春。戦後社会の変容をにらみ、透徹した理想を掲げ、声の小さい人の側に立ちつづけた。そんな人と作品を追った『拗ね者たらん』(講談社)が刊行された。時代、国家、生き抜くこと。本作をめぐり、著者の後藤正治さん(72)がライターの武田砂鉄さん(36)と世代を超えて語り合う。
ノンフィクション作家の後藤正治さん(右)とライターの武田砂鉄さん=藤原伸雄撮影
後藤 40年ほどノンフィクションの世界で生きてきました。本田さんはお会いして、惚(ほ)れてしまった稀有(けう)な人です。人柄と作品の隔たりがなかった。骨っぽいことを語りつつユーモアにあふれ、酒もギャンブルも好きで、若い人には誠実に接していた。取材力抜群で、巧みでありながら巧みには見せない文章力がある。こういう両輪を備えた作家をほかに知りません。
武田 私は2005年に河出書房新社に入社しました。本田さんの遺稿『我、拗ね者として生涯を閉ず』を読み終えた頃です。両足の切断、右目の失明、肝臓がんといった病と闘いながら記された。忘れられない1冊となり、後に編集者として本田さんのムック本と短編集『複眼で見よ』を担当しました。フリーになったいま、本田さんに見張られているような思いで仕事をしています。
ごとう・まさはる 1946年京都市生まれ。『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフィクション賞、『清冽(せいれつ)』で桑原武夫学芸賞。=藤原伸雄撮影
後藤 「拗ね者」と自称しましたが、それは諧謔(かいぎゃく)の精神からでしょう。思春期に朝鮮半島から引き揚げ、終戦とともに掲げられた反戦や言論の自由という理念を抱きしめるように大切にしていた。それが経済成長が進み、社会が豊かになっていくにつれ、尊重されなくなっていく。「精神の荒廃」と彼は言いましたが、そんな時代の流れがどうにも見過ごせなかった。自分は少数派になっても忘れないぞ、と拗ね者という言い方を好んで自称した。そういう姿勢は若い世代にどう映りますか。
嘲笑の空気、でも…武田砂鉄「沖縄のため、言い続ける」
たけだ・さてつ 1982年東京都生まれ。『紋切型社会』でドゥマゴ文学賞。『芸能人寛容論』『日本の気配』など。=藤原伸雄撮影
武田 現代に引き寄せつつ読んでも強いメッセージ性を感知します。折しも2度目の東京五輪開催へと向かいながら、再び万博の開催が決まった。「経済成長の夢よもう一度」という向きも多い。でも足元を見直して、人間を見捨てていないか、と問いたくなります。
出入国管理法改正案の審議をきっかけにあらわになったように、日本社会の外国人への対応は配慮に欠けている面が目立つ。民族差別を背景に在日コリアンが起こした事件を描いた『私戦』という本田作品があります。そこでは「人間を人間らしく生きさせない」社会を指弾しています。そうした主張の数々は、いまの社会に対しても維持されていると思います。
本田靖春さんの歩み
1933年生まれ。旧朝鮮に生まれる。早大卒業後、55年読売新聞社に入り、社会部記者、ニューヨーク特派員として活躍。なかでも売血の実態を追った「『黄色い血』追放キャンペーン」は献血制度確立に貢献したとされる。71年フリーに。『不当逮捕』で講談社ノンフィクション賞。著書に『警察(サツ)回り』『ニューヨークの日本人』など。2004年死去。
■「文章は指紋のような…