かつての川崎球場(川崎市)の面影を残す「歴史的遺産」を指定文化財として残しませんか――。そんなプロ野球ファンの熱い思いから、署名活動が始まった。狭くて、古くて、閑古鳥が鳴いていた球場跡が、今も愛されている。
一度は戦力外、異例のカムバック 打撃投手や独立L経て
川崎球場は大洋(現DeNA)やロッテなどの本拠地として使われたが、老朽化がひどくなったため2000年に取り壊された。今はアメフトが中心の多目的球技場「富士通スタジアム川崎」に姿を変えているが、外野フェンスの一部や照明塔が残り、パ・リーグのファンらが見学に訪れる。
今月2日、「君は川崎球場を知っているか?」と銘打った催しが開かれた。現地で行われた署名は、長年プロ野球中継を担当した元ニッポン放送アナウンサーの松本秀夫さんが代表となり、「世代をつなぐ場所として長く愛されてほしい」と呼びかけた。
「マサカリ投法」で知られた元ロッテの村田兆治さん(69)は、その日の講演で当時の川崎球場を振り返った。「この球場は打ち取った球が(フェンスを越えて本塁打になったから)すごく悲しいの。ただ、この球場があったから私は東京ドームでは負けたことがないんだよ(通算8勝0敗)。あれだけ広く、お客が入る球場だから、やりがいがあった」と笑わせ、「川崎球場で孤軍奮闘して、お客さんが少ないところで何年も投げてきたんだ。勝ったんだよ」と誇らしげに語った。
川崎球場といえば、1988年、近鉄バファローズが逆転優勝をかけてロッテオリオンズとダブルヘッダーを戦った「10・19(じゅってんいちきゅう)」の死闘が今もファンの胸から消えていない。あの日から30年を迎えた昨秋は、大勢のファンが訪れて往時を懐かしんだ。
署名は1万人を目標に集め、川崎市に「指定文化財」として登録する請願書を提出する予定だ。松本さんは「古い球場がどんどんなくなっていくなか、数々のドラマを生んだ川崎球場を歴史的遺産として残してほしい」と話している。(笠井正基)