戦時中に名古屋市の三菱重工業で働かされた韓国の元女子勤労挺身(ていしん)隊員の遺族として裁判を闘い、昨年11月、韓国大法院(最高裁)で損害賠償を認められた男性が1月、亡くなった。日本政府は韓国の判決に反発しているが、日本の支援者は「時間はない。一刻も早い解決を」と訴える。
男性は韓国・蔚山(ウルサン)の金中坤(キムチュンゴン)さん。1月25日、急性肺炎で死去。94歳だった。
妹の淳禮(スンネ)さんは日本の植民地統治下だった朝鮮半島から勤労挺身隊員として名古屋にあった三菱の軍需工場へ動員された。1944年12月に動員先の工場で東南海地震に遭い、亡くなった。まだ14歳だった。
99年、元隊員が同社と国に損害賠償を求めて名古屋地裁に提訴すると、中坤さんは翌年、遺族として裁判に加わった。
淳禮さんと幼なじみで一緒に隊員として動員された妻の金福禮(キムポンネ)さんも提訴したが、2001年に71歳で急逝。その後は妻の遺族としても裁判を闘った。
08年に最高裁で敗訴が確定し…