「しょこたん」こと、歌手でタレントの中川翔子さんが、朝日新聞社が1月下旬に主催した障がい者スポーツのこれからを考えるシンポジウムにパネリストとして参加しました。議論のテーマは「“一歩先”のアクションで、次世代へつなげよう」。これまで障がい者スポーツや障がい者に接する機会は少なかったという中川さん。上原大祐さん(元パラアイスホッケー日本代表)、堀雄二さん(東京YMCA社会体育・保育専門学校校長)、増田明美さん(スポーツジャーナリスト)とどんな話をしたのでしょうか。
増田 これから私たちはどんなアクションをとっていったらいいのか。
上原 NPOの活動で、車いすの子どもたちにゴムシートを敷いた畑へ入り、土に触ってもらった。車いすにとって、土は最大の敵。だから入れない、という固定観念を変えたかった。「できた」という経験が子どもたちに自信をつけ、挑戦する力を持つことにつながっていく。
堀 参加して知らない世界が見えただけで、子どもは笑顔になる。ボランティアの学生も最初は何かしなきゃ、と思うけど、一緒に遊ぶだけで楽しく過ごせる。スポーツを通してそれができる。
増田 できること、できないこと。街のなかで何か経験することはありませんか。
中川 車いすの利用者がいたとき、どうしていいかわからなくて。声をかけることも自分からはできない。
上原 アメリカにホッケー留学したとき、面白いなと思ったことがあった。自分のことを助けようと思った人が、近くの人に「ちょっと手伝って」と声をかけ、「せーの、で持ち上げよう」とすぐにチームをつくって対応してくれた。バリアフリー施設は日本の方が充実しているケースもある。施設整備が80%なら、残りの20%は人で補うことも重要だ。
中川 「大丈夫ですか。お手伝いしましょうか」と声をかける勇気がないのも課題ですね。
堀 「手伝って」と上原さんは言えるんですか。
上原 助けがなくても大丈夫なときも、あえていまは「助けて下さい」と言うこともある。日本では、心のバリアフリーという言葉が健常者から障がい者に向けてになっているけど、私はお互い様だと思っている。
ロンドン五輪を見に行ったとき、ある駅で降りたら、男性に「観光地に行くんでしょ。左側からだと階段がある。右側から行くと遠回りだけどアクセスできるよ」と声をかけられた。これもサポート。街を知るって重要で、不便な場所を知るということを日頃から意識してもらえるとうれしい。
増田 将来、みな高齢者になる。高齢者にとっても優しい街になるし、知っていると便利だ。
中川 「あちらですよ」と、自分から声をかけてもいいんですか。
上原 ぜひお願いします。その一言だけで本当に助かる。
堀 日本人は何かをしてあげようと身構えてしまう。ちゃんとできないなら声をかけない方がいいかな、迷惑かな、と思ってしまう。大人になると、自分たちで壁をつくってしまう。普通に接し、一緒に過ごすという体験を色んな場面で増やしてもらえたらなと思う。
上原 オリンピックもパラリンピックも「する」「見る」「支える」というキーワードがある。ほかにもスポーツを創造する、ルールをつくる、という関わり方も面白い。ボールが重かったら、軽いものを使ってみようか、という発想です。固定観念を壊すためには、「つくる」ことがすごく重要だと思う。
増田 子どものころは、遊びもつくっていた。難しく考えすぎかな。
堀 企業は社会貢献として、社員を出してほしい。障がい者スポーツにかかわるプログラムに参加すると、理解できることがある。1回出ると楽しかったと、リピーターになる人がいて、仲間を連れてきてくれる。そういう現場をたくさんつくれば、もっともっと社会が変わるかな。
中川 まずできること、ということを考えるとやっぱり面白い。パラスポーツの動画をSNSで共有することももっとやっていこうと思った。
上原 パラスポーツの体験会を開くと、会場に来てくれる人たちが毎回ほぼ同じになってきている。例えば、DJによる音楽イベントにして音楽好きを集めるように、違った切り口でやっていく必要がある。
中川 自国開催は、歴史に残ること。五輪が盛り上がるだけじゃなくて、パラリンピックがいかに盛り上がるかが、成功の鍵だと思う。
(※シンポジウムの内容は19日付朝刊でも紹介します)