閉ざされていた東京パラリンピック出場への道が開かれた――。パラトライアスロンの谷真海(36)=サントリー=の障害クラスは当初、東京大会の実施種目から除外されていたが、25日にあった国際トライアスロン連合(ITU)の理事会で他の障害クラスと混合で実施することが決まった。
東京オリンピック2020
日課の早朝ランニングは今も続けている。本番コースの東京・お台場を走りながら、「(所属する)会社前や子どもが通う保育園の前も通る。東京大会でここを走れたら最高だなと思っていた。東京大会への出場権をとるために頑張りたい」。抜群の知名度と発信力でパラスポーツの盛り上げ役を担う存在の谷。ところが、今までは東京大会出場の道は閉ざされていた。
まさかの知らせが届いたのは8月だった。ITUは障害カテゴリー別に東京大会実施男女各4種目を発表した。そこに谷の運動機能障害PTS4クラスはなかった。競技人口が少ないのが理由だった。2016年リオ大会から計2種目増えたとは言え、「2年前にばっさり切られるのは、やはり選手として大きなものを失う。自分にとっては厳しいものだった」と語る。
パラリンピックは谷にとって特別だ。骨肉腫を発症して02年に右足ひざ下を切断、義足生活となった。上を向かせてくれたのがパラリンピックだ。陸上女子走り幅跳びで04年アテネ大会から3大会連続出場した。「その世界を見られていなかったら今の自分はない。スポーツの力、魅力を人に伝えるということもなかった」
13年9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会でみせた招致プレゼンテーションは語りぐさだ。自らの体験を通して、スポーツの力を涙ながらに訴えた。招致に貢献。そして、結婚して佐藤から谷に姓が変わり、15年には子どもが生まれた。迫る東京大会を「目指さずに迎えるのは後悔が残る。『ああ、満員になってよかった』というのを選手として感じたい」。東京大会は、育児や仕事をこなしながら、陸上からトライアスロンに転向してまで出場を望んだ場だ。
今回の決定は障害が重いクラスの選手が軽いクラスの選手に交じって一緒に戦うというもの。谷にとって決して有利ではないが、「だからと言って、(目標の)表彰台を諦めるわけにはいかない」と谷。「あと1年半、やることはたくさんある。悲観はしていない。思うようにいかず大変なことを語るよりも幸せなことを数えて生きていきたい」(榊原一生)