毛沢東の秘書も務めた中国共産党幹部でありながら、党内の民主化を訴え、天安門事件での武力弾圧にも最後まで反対した李鋭氏が101歳で死去した。党員である前に人としてあるべき姿を貫いたその人生について、李氏のもとに通い続けてその思想を聞き取ってきた及川淳子・中央大学准教授に聞いた。
中国当局誤算、弾圧恐れぬ弁護士たち 妻ら丸刈りで抗議
毛沢東の元秘書・李鋭氏が死去、101歳 改革派の論客
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中国共産党の改革派長老として知られた李鋭氏は、党内で様々な役職と経験を重ねながら自らの信念を貫き、「党の良心」と呼ばれた。
憲法第35条に明記されている言論の自由を擁護し、党や政府とは異なる自由な政治的発言の重要性を説いた。引退後も党内部の民主化を実現することで、中国全体の憲政民主を推進しようと尽力した。
李氏の存在は、中国共産党の体制内の多様性と複雑性の象徴だ。彼が文革後に復権してから、指導部に異論を唱えながらも最後まで党員であり続けたことは、党の強靱(きょうじん)さの表れでもあったといえよう。
現代中国の言論空間を専門に研究する私は、李氏へのインタビュー調査を続けてきた。長江三峡ダムの建設をめぐり、毛沢東に反対意見を述べた大胆さに魅了され、北京に李氏を訪ね続けて19年が過ぎた。
私の研究室には、李氏から贈られた額装の書がある。
力強い筆致で、「人としてのあり方と、党員としてのあるべき姿に根本的な矛盾が生じたときには、私は一切の犠牲を惜しまずに前者を守り抜き、自分自身に対して、また歴史に対しても申し開きが立つようにしたい」とつづられている。
組織の中でも、権力に対しても、「おかしいことは、おかしい」と言うことの大切さを、私は李氏の生き様を通して教えられた。
1989年、学生や市民の民主化運動が弾圧された天安門事件の際、李氏は最後まで武力弾圧に反対し、事件の再評価と関係者の名誉回復を訴えてきた。中国国内で著作の出版が禁じられたが、5年に1度の党大会にあわせて政治改革の意見書を発表し続けた。
今年は1919年の五四運動から100年、天安門事件から30年の節目にあたる。「いつ、憲政は成し遂げられるのか」と語っていた李氏。彼を身近に知り得た者として、その思想と行動を伝える使命を痛感している。